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トーマス・アレンの『カルミナ・ブラーナ』 [アレンの録音・映像鑑賞記]

 音楽とは何なのだろうと、時折、考えることがある。
 私の魂を強引に肉体から引き離し、暴力的なまでの陶酔を味わせてくれるこの“力”は、いったいどこから生じるのだろう、と。

 物質としての表現体ではないが、音とはしょせん物質の振動であるから、外界の世界に存在するモノである。その意味で、ロゴスとは違う。

 その様々な“振動”を集め統合されたものを音楽と呼ぶ。我々はそれを“刺激”として外界から受けて、内面世界に思想やビジョンを湧き上がらせる。
 だから、先んじて概念が存在しなければ、音楽はただの雑音であり、感情を揺り動かされることもない。

 従って、音楽そのものが“力”なのではない。

 『カルミナ・ブラーナ』は、私の内面の、ある危機的な記憶を呼び覚まさせる音楽だ。それは三十五年という短い人生での体験ではないのかもしれない。「原初の記憶」とでも言うのだろうか。まだ肉体を得る前に存在していた世界のことだ。そして、今という瞬間の延長線に確実に待ち受けている“場所”でもある。

 まだ「概念」とも呼べぬ程度のイメージだが、私にそれを与えた“力”確実に存在する。そして、無数の音を統合してこの曲を創造したオルフも、同じものを見、感じていたはずなのだ。私よりもはるかに鮮やかに、生々しく体感したに違いないと思う。

Carmina Burana

 指揮:Andre Previn
 演奏:London Symphony Orchestra



 ところで。
 不吉な鐘、ドラ、原始的な太鼓(ティンパニ)、不安なファンファーレ、この世のものとは思えぬ混声合唱。お膳立ては全てそろっているのに、聴き手としてあと一歩のところで狂騒状態に陥ることが難しいのは、演奏にどこか上品な雰囲気が感じられるからだろうか。宗教的な趣もふんだんにある曲だけれども、もう少し獣性を帯びていてもよいのではないか。

 それはアレンの独唱にも感じられることであって、第11曲なんかはアレンにしては荒々しい歌唱だと思うけれども、ファンとしての立場を忘れて何となく物足りなさを感じてしまう。他の盤を知らないので何とも言えないが。まぁこれはこれで素敵だとは思う。←記事のタイトルも示す通り、アレン目当てで聴いてるんでネ(´ー`)

 Gerald Englishのねじれた「白鳥」はグロテスクで気に入った。

 某所でケーゲルの旧盤が「狂気に充ち満ちて」「不健全の極み」で良いとの評を見つけたので、是非手に入れて聴いてみたい。とか言いつつ、アレンの下唇見たさに小澤征爾のDVDを買ってしまった。どうせそーゆー奴だよあたしゃ・・・orz
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ウタコ

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魂が肉を出たがって暴れてますね。
生みの苦しみですな。早く楽になりたいんだよ、きっと。
by ウタコ (2007-01-23 13:10) 

しま

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うーむ・・・。
ともかく、白鳥の声には共感してしまいましたよ。何となく。
by しま (2007-01-24 01:20) 

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