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グロ様の自伝3 -- 嫁と共演《ルイザ・ミラー》。そして現在。 [オペラの話題]

jbcarmen.jpg keyakiさんのご好意により、ピーター・グロソップがミラーを歌った《ルイザ・ミラー》を聴くことができました。1972年、バルセロナでのライブです。

 ロドルフォはホセ・カレーラス、ルイザはモンセラート・カバリエ。ついでに、ヴァルター伯爵はマウリツィオ・マッツィエーリ(※'12,4,26追記)。
 なかなかの豪華キャストですが、フェデリーカ役の名前を見て「おや?」と思いました。

 ジョイス・ブラッカム(Joyce Blackham)。

 実は、グロ様の嫁なんですよネ。

 グロ様の自伝“Peter Glossop -- The Story of a Yorkshire Baritone”を読んでいなかったら全然気が付かなかったと思います。

 1934年生まれのメゾ・ソプラノで、カルメン役を得意としていたということです。

 グロ様と知り合ったのは'51年頃。同じ声楽の先生についていて、グロ様はジョイスの成熟した妖艶なメゾ声に“ひと耳惚れ”したのだとか。結婚したのはグロ様がサドラーズ・ウェルズ歌劇団で第1バリトンを務めるようになった1955年です。

 フムフムと《ルイザ》のフェデリーカを聴いてみましたが、確かに、カルメンに合いそうな雰囲気の声です。音の輪郭がはっきりとしていて、ほどよくドライで、低音はちょっと意地悪そうで(私はそういうメゾ声が大好きです)。

 《ルイザ》ではミラーとフェデリーカのからみが無いので残念ですが、思いがけず夫婦共演音源を手に入れることができたのはとってもラッキーでした。keyakiさん、本当にありがとうございます。

 またタイミングの良いことに、この時のバルセロナでのライブのことが自伝に書かれておりました。

 自伝によると、この頃のグロ様は人気絶頂。調子によってスケジュールを入れまくったのはいいけれど、考えてみたらミラー役を歌うのは初めて。なのにリハーサルまでたった3日しかないし、その間に《ビリー・バッド》(*1)と《エルナーニ》でロンドンとバルセロナを行ったりきたりしなくちゃならない!!アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ
 とゆー状況だったとのこと。

 なんとかやり遂げたのはいいけれど、この時の《ルイザ》の初日はグロ様的には(´・ω・`)ショボーンな出来で、「ごめんなさい。もうしません」と菌類オペラの神様に誓ったそうです。

 私が聴いたグロ様の《ルイザ・ミラー》、正確な日付はわかりませんが、とにかくものすごいデカ声だし、シャープ歌唱も絶好調!! 張り切って歌っているように聴こえますので、たぶん「声が疲労しきっていた」という初日の録音ではないでしょう。

 余談ですが、声の響きが暗いことから超♭歌唱に聴こえてしまうことの多いカレーラスですが、この時のロドルフォでは超超♯歌唱です!! 
 〈Quando le sere al placido〉ではそこかしこで##(ダブル・シャープ)歌唱を披露(*゚Д゚) つまり1音上がっているわけで、それは既にシャープ歌唱というよりは単なる音痴ではなかろーか!?というくらい。

 グロ様のシャープ歌唱もすごい笑えるはずなんですが、この“ライスカレー唱法”を前にしてはさすがの輝きも失せてしまいます。
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glorigo.jpg グロ様の自伝は一昨日、読み終わりました。

 残念ながら、'71年の来日のことには触れられていませんでしたが、グロ様の人となりをうかがわせる数々のエピソードやヴェルディへの傾倒ぶりを知ることができて、久しぶりにとても楽しく充実した読書体験でした。

 ブログですべてを紹介できないのが大変もどかしいのですが、特に心に残っているのは、グロ様がイタリア・デビューを飾ったパルマでの初日の様子です。
 1965年、1月3日。演目はヴェルディの《リゴレット》でした。

 実はグロ様、この大事な時にひどい風邪をひいていたのです!! 

 しかも数日前には、コーネル・マクニールが《仮面舞踏会》で失敗してアメリカへ逃げ帰るという事件があり、外国人歌手に対してなんともイヤ~な雰囲気が漂っていたとか。

 そんな中、クヨクヨしたグロ様が、リハーサル中に脇役のイタリア人歌手に「実は風邪ひいちゃったんだけど…(´・ω・`)」と打ち明けたところ、彼らはグロ様にイギリスではご禁制の風邪薬をくれ、「まるで母親のように」かいがいしく看病をしてくれたりして、初日にはすっかり体力まんまんになっていたとか。

 そして舞台は大成功!!

 熱狂した観客がステージドアの前に集結し、出てきたグロ様をかつぎあげて、


         +  ; ∧_∧ ←グロ様
         ⊂⌒~⊃ ´∀`)⊃ +  
          +   +:: ̄ ̄;   +
    ワショーイ  + ;: ;.   + ;  ワショーイ
.      ∧_∧  ∧_∧  ∧_∧
      ( ´∀`∩∩´∀`∩∩´∀` )
      (つ   ノ ヽ    ノ ヽ  ⊂ )
       ) ) ) | | |   ( ( (
       (__)_) (__)_) (_(_)


 と、1ブロック先のホテルまで運んで行ったのだそうです!!

(ヨークシャー産エリンギ語訳)

 あれはボクの歌手人生でいちばん嬉しかったし、いままで生きてきた中でいちばん幸せだったな。
 なんつーか、「イタリアの申し子」って気分になったっつーか。なにしろパルマはヴェルディの故郷だし。大好きなヴェルディの実の子どもになったゾ!みたいな。


 グロ様は、いわゆる「音楽学校」等での正式な音楽教育は受けていません。小学校の「音楽の時間」に歌うことの楽しさを覚え、田舎に巡業に来た歌劇団による《リゴレット》に夢中になり、「オペラ歌手になってリゴレットを歌いたい!」と思ったのがすべてのキャリアの始まりだそうです。

 グロ様の人生は、駆け出しの頃から引退して静かな暮らしをしている現在に至るまで、一貫して、子どもの頃に抱いた夢を揺るぎなく持ちつづけてきた軌跡だということが、自伝を読み終えた今ではよくわかります。

 私の大好きなヴェルディ・バリトンが、子どものような純粋な情熱でもって人生をヴェルディに捧げた――その記録を、本人の言葉で知ることができたなんて本当に幸せだと思います。

 自伝によると、グロ様の最後の舞台は、1986年10月14日、ロサンゼルスでの《マダム・バタフライ》のようです。明記はされていないけれど、シャープレス役でしょう。

 この本を著した2003年現在、グロ様はイギリスのデヴォン州の小さな美しい家で独り暮らしをしているそうです。

 糟糠の嫁ジョイス・ブラッカムとは、残念ながら、1973年頃に離婚しています。上記の《ルイザ・ミラー》のすぐ後ということになりますね。

 自伝の最後の部分は、なんとなく行間からグロ様の寂しそうな様子も伝わってきて、少し心が痛むのですが、ひとつの救いは、元嫁のジョイスといまだに親交があることですね。ジョイス・ブラッカムも、グロ様とそう遠くない所に恋人と一緒に暮らしており、彼女がグロ様と外の世界のパイプ役となっているそうです。

2012,03,01追記
(*1)この時の《ビリー・バッド》がトーマス・アレンのROHデビューの舞台だったのです。関連記事はこちらです。

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