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カーセン版《キャンディード》@ENO -- 演出についての覚書き [オペラの話題]

carsen.jpg 11月23日にデンマークのDR P2で放送された、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の《キャンディード》を聴きました。

 演奏会形式ではなく、芝居の入った本格的な上演。連休を利用して徹夜でネットラジオと格闘しましたが、その甲斐は十分にありました。演奏のレベルも満足のいくものでしたし、音だけの鑑賞でもステージの活気が伝わってきて、時にプッと吹いたりしながら、楽しく聴きとおすことができました。

 今回のお目当ては、ナレーターでもパングロスでもなく、ちゃんと主役のキャンディード。最近お気に入りの英国人テノールの声を聴きたいがためだったのですが、そちらの感想は後で語ることにして。

 その前に。
 このプロダクションの一風変わった演出、ロバート・カーセン(写真)のシゴトについて、覚え書き程度にまとめておくことにいたします。

 音だけの鑑賞で、実際に舞台を観たわけでもないですし、放送を聴くまでは興味なんて全く持っていなかったんですが。冒頭からセリフがかなりアレンジされていて、気になっていたところ、インターミッションでカーセンのインタビューが流れまして「ナルホド」と思ったコトがあったのです。

6005_3.jpg ブレアさんやブッシュさんが国旗の柄の海パン姿で登場するシーンが物議をかもして、スカラ座でカットされたとかされないとか、そんな噂はネット上でちらほら聞いてはいたんですが、《キャンディード》という作品を知らなかった当時は何が何やら「???」でした。

 またもや現代読替大好きな演出家が暴走したのかー程度に思っていたわけなんですけれども、カーセンの言い分を聞いてみると、けっこう筋が通っているというか、やりたいことは理解できるというか。
 最終的な結論を下すのは、映像なり実演なりを自分の目で観てからなんでしょうけど。調べれば調べるほどに面白くてハマってしまいました。

 このカーセン版《キャンディード》。パリ・シャトレ座とスカラ座、ENOによる共同制作なんだそうで、プレミエはシャトレ座で06年12月。その後、07年6月にスカラ座で上演され、ロンドンにやってきたのは08年6月でしょうか。

 6/23の初日の模様は、実際にご覧になったロンドンの椿姫さんがレポして下さっていますので、そちらをぜひお読みください。

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candide1.png カーセン演出の《キャンディード》。その“売り”とするところを簡単にまとめると、「18世紀の思想を風刺した作品を、黄金時代のアメリカの社会情勢を発端とした現代社会への批判に移し替えた」ということのようです。

 想定された舞台は50年代のアメリカ。
 キャンディードの育ての親は、原作ではドイツ・ウェストファリアの男爵夫妻なのですけれども、カーセンの演出では“ホワイト・ハウス”に住む“プレジデント”と“ファースト・レディ”。ナレーションやセリフもそれに合うようにかなりアレンジされています。

 クネゴンデと引き離され、屋敷を追われたキャンディードが騙されて入隊するのも、原作ではブルガリア軍ですが、この演出ではアメリカ軍。「アンクル・サムに乾杯~!!」なんて言っています。

 また、有名な"Glitter And Be Gay"が歌われるシーンでは、クネゴンデは裕福なユダヤ人と異端審問官に囲われる身となっているわけですけれども、カーセン版では二人は映画のプロデューサーで、クネゴンデは銀幕スター。50年代のセックス・シンボル、マリリン・モンローの代表作《紳士は金髪がお好き》('53年)のパロディ・シーンが繰り広げらるという趣向です。

 モンロー.jpg クネゴンデ.jpg

 映画のパロディは他にもあって、やはりモンロー主演の《お熱いのがお好き》なんかも出てきます。

likehot.jpg クネゴンデの兄マクシミリアンが女装をするシーンですが、男性であることがバレたとたん「Nobody is perfect ! (誰にでも欠点はあるよ)」なんて、有名なセリフを言っています。
 映画のストーリー自体は禁酒法時代の設定ですが、ビリー・ワイルダー監督による、50年代の傑作ラブコメ作品ですよね。

 その他、アメリカを意識した読み替え設定は盛りだくさん。アルゼンチンの総督は移民局のお役人になっていますし、黄金の国エルドラードは(セリフがよく理解できないんですけど)油田かな?

 カーセンこういう演出のねらいは、《キャンディード》というミュージカル作品が生まれるに至った50年代アメリカの社会情勢と、それと闘った脚本家のリリアン・ヘルマンバーンスタインに感銘を受け、彼らのメッセージを現代の観客にわかりやすく伝えるためだと言います。

 50年代当時のアメリカは、表面的には比較的安定し、栄華を誇っているようにも見えるのですが、俗に「赤狩り」と呼ばれる共産主義排斥旋風が吹き荒れ、多くのリベラルな文化人が恐怖に陥れられた時代でした。私はリリアン・ヘルマンという人物については殆ど何も知らないのですけれども、彼女もまた、委員会に召喚されて共産主義者の疑いのある友人たちのリストを挙げるよう強要され、それを断ったためにハリウッドを追放された経歴を持つ人のようです。

 ヘルマンはその時の経験から、18世紀の問題作であったヴォルテールの『カンディード』に興味をもち、特に作中の異端審問の場面にいたく共感したことから、この作品を舞台化しようとバーンスタインに誘いをかけたのでした。


 これは、ミュージカルを創ろうという動機としては甚だ異例のことです。通常なら「売れる作品かどうか」がアイデアの機軸となるものですが、この作品は創り手の「怒り」から生み出されたのですから。

"musical criticism.com"カーセンのインタビューより。



 その異端審問のシーンでは、キャンディードとパングロスが「ユダヤ系の」「共産主義者」との嫌疑をかけられ、絞首刑に処せられます(キャンディードは難を逃れ、パングロスも実は幸運にも助かったことが後でわかるわけですが)。キャンディードたちを追い詰めるのは、音声だけではわかりにくいのですが、KKK団という設定らしい。アメリカ社会の暗黒面をわかりやすく可視化したシーンと言えるでしょう。

carsen-4.jpg 作品のテーマである18世紀の楽天主義「ライプニッツ哲学」についても、カーセンは現代特有の意味合いを与え、より身近な問題として
考えさせる工夫をしています。そのひとつが「TV」。

 カーセンの舞台は、どのシーンも巨大な四角い「枠」に囲まれた中で展開しているということです。「枠」とはブラウン管の画面であり、つまり、カーセンの《キャンディード》はTV画面を通して見た世界の有様なんですね。ナレーター(ヴォルテール)は終始ブラウン管の外に立っていたとのことです。


 50年代の初期の頃は、TVはまだ、多くの人々にとって、驚くべき素晴らしい発明品でした。現代においては悲惨な出来事ばかりを映す道具となってしまいましたが、当時のTVは「夢の箱」だったのです。

"musical criticism.com"カーセンのインタビューより。



 パングロスの主張する常軌を逸した楽天主義は、決して過去の遺物ではない。TVに限らず、多種多様なメディアによって操作された“情報”を鵜呑みにし、“真実”を知ったと思い込んでしまう現代人。これこそが21世紀における「楽天主義」の実態なのだ。

 カーセンの「風刺」はそんなところにあるのかもしれません。

 先にご紹介した「5人の首脳たちが海パンで踊るシーン」は2幕半ば。タンカーが爆発して海が原油まみれになったところのようです。

 シラク、ブッシュ、ブレア、プーティン、ベルルスコーニ(のお面をつけた人)が登場するらしいのですが、バーンスタインの" The Kings' Barcarolle" の曲をバックに、「フレールジャック(フランス)」「威風堂々(イギリス)」「オー・ソレ・ミオ(イタリア)」「マクドナルド爺さんの農場(アメリカ)」……ロシアの歌が不明なんですが(笑)……をめいめい好き勝手に歌い、「ジャック、隠居生活を楽しんでるかい?」などと声をかけあって観客の笑いをとっています。

 このシーンが問題となって、スカラ座での上演の際にはあやうくカットされそうになったらしいのですが、そこはカーセンがねばって何とか上演にこぎつけたとのこと。

 映像も観ていないし、私には一体何が悪かったのかよくわかりません。ちょっとした悪ふざけ程度で、会話の内容も(聴き取れる範囲では)大して罪がないと思うのですけど。
 スカラ座のような“伝統あるオペラ劇場”としては「こんなお下品なモノ……!!」ってな感覚だったのかもしれません。

 まぁ、結果的にカーセンの演出にちょっとした箔がついたと言えますが、昨今は風刺に寛容な時代ですし、カーセンは得をしています。
 それとも、風刺に慣れきった我々の視点が、皮肉屋のマルティン寄りに傾いているとも言えるのでしょうか。

 (長くなりましたので、パフォーマンスについての感想は次回に持ち越しといたします)


※ラジオでの音源を聴いたのみで、演出の詳細についてはカーセンのインタビューや内外のネット記事から得た情報をもとに推測、まとめています。間違い等がありましたらご指摘いただけると助かります。


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 《キャンディード》関連記事リンク
じーちゃんブロードウェイへ行く -- 《キャンディード》04年NY
アレンのパングロス博士 -- 《キャンディード》04年NY
07年にもやってます -- 《キャンディード》@エジンバラ・フェスティバル
Royal Festival Hallの《キャンディード》 -- 05年ロンドン
聴きました! 《キャンディード》@ロイヤル・フェスティバル・ホール

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straycat

しまさん 分かりやすい解説をありがとうございます!
音源だけではよく分からなかったところがスッキリしました。
まあ、もしかしたら勘違いがあるかもということですが、でもカーセンの演出の概要と意図がわかって私にはとても参考になりました。
実は日本版で宮本○門さんが、レニーのことを結構こき下ろしていて、深みがないなんて言ってるんですよ。でも結局その演出はオリジナルの土台の上に成り立っていて、それに色をつけただけ。そんなに言うんならここまで変えてみろーなんてこれを読んでちょっと思いましたデス。こういうオリジナルなことを考え出す人が好きです。あ、それからこの記事勝手にリンクしちゃった(笑)よろしく~。
by straycat (2008-12-04 08:26) 

ロンドンの椿姫

凄いですね、ラジオで聞いただけでこれだけ書いてしまうとは。かぶりつき席で観ていながら手抜き記事しか書けなかった私はお恥ずかしい限りですが、補うためにもこれ是非TBして下さい。

はい、エルドラドは油田でした。
リリアン・ヘルマンと聞いて私がすぐ思い浮かべたのは、(年がばれますが)1977年の映画「ジュリア」。第二次世界大戦のユダヤ人問題を背景とするヘルマンとジュリアの女性二人の友情物語ですが、出来の良い作品でヘルマン役のジェーン・フォンダとジュリアのヴァネッサ・レッドグレーブの二人共、彼女たちのベストとも言える素晴らしい演技でした。

ENOのパフォーマンス、恋は盲目状態の私は冷静に鑑賞できなかったので、ここはひとつ音だけで客観的に判断して下さる(かな?)しまさんのレポを楽しみにしています。
by ロンドンの椿姫 (2008-12-04 20:45) 

しま

straycatさん>
観てもないのに書くとゆー、かなりの暴挙に出てしまいましたが、本当に面白かったですもんね、音だけでも。
実際に観たらさぞや楽しかったに違いないです。シャトレ座のが映像になっていますが、私はトビー君じゃないと嫌だなぁ~(笑)

>宮本○門さんが
>深みがない
へえぇ…そうなんですか。
同意or反論するほどバーンスタインを聴いていないし、宮本さんのおシゴトもよく知りませんので、何とも言えませんけど、私は少なくとも《ウェストサイド・ストーリー》より断然好きになりました。楽曲では、似たフレーズがいくつかありますよね。

カーセンの演出はオペラファンの間では賛否両論っぽいみたいですが、私は嫌いじゃないかもしれません(言葉で読む限りは、ですが;;;)。
by しま (2008-12-04 23:17) 

しま

ロンドンの椿姫さん>
観てもないのにという負い目があり、記事リンクさせていただいちゃいました;;;

>ラジオで聞いただけで...
というか、聞いただけじゃ一言も書けないので、検索しまくってのツギハギ記事です。それでも何となく、イメージがつかめてきちゃうので、ネットって本当に凄いですよね。間違ってなければいいんですけど…。

>「ジュリア」
そんな映画があるんですね。せっかくヘルマンについて興味がわいてきたことだし、機会があったら観てみたいです。

>恋は盲目状態
既に私もそうですよ(笑) トビー君のキャンディード、想像していた通りのハマリ役で大満足です。客観的になんて聴けないですよー。

>是非TBして下さい
こんな記事でよろしければ。ありがとございますです。
by しま (2008-12-04 23:28) 

つるりんこ

2006年パリのキャンディードを観ました、
漠然と観ていましたが、
詳しい解説で今更ながら大いに納得しました。
以来、ロバート・カーセンは気になる存在ですが、
2007年には東京で小澤征爾が指揮した「タンホイザー」を演出しています。
by つるりんこ (2008-12-12 13:55) 

しま

つるりんこさん>
恐れ入ります。ネットで集めた情報の寄せ集めですが、日本在住者による日本語のブログでカーセン版キャンディードについて詳しく語っているブログが少なかったので、ちょっと頑張ってまとめてみました。

実演をご覧になったなんて羨ましいです。私はYouTubeで映像をちょこっと観ただけで、あとは写真や批評から想像しているだけですから。
by しま (2008-12-14 00:30) 

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