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映画《ハンニバル》の劇中オペラ -- " Vide cor Meum " [オペラの話題]

hannibal.jpg 映画の中でオペラが効果的に使われることがあります。

 登場人物が実際にオペラを観劇するシーンだったり、BGMとして流れたり、特定のオペラを連想させる演出であったり、使われ方はさまざま。効果的に使われれば映画のテーマも強烈に浮き彫りにされますし、そのオペラの新たな一面を発見することができたりします。

 映画に出てきたオペラのシーンが印象的で、そこからオペラに興味をもって聴くようになったという方々もけっこういらっしゃるようです。最近ではオペラの演出でも映画を意識したものが多いようですし、どちらも「総合芸術」ということで、血縁関係のような相性の良さがあるのかもしれません。

 先日、久々に《ハンニバル》を鑑賞しました。

 言わずと知れた、アンソニー・ホプキンスの怪演が凄い「ハンニバル・レクター」シリーズの二作目(2001年)で、日本ではR-15指定で公開された猟奇モノ。作品の出来じたいは一作目の《羊たちの沈黙》を凌ぐほどではありませんが、ダークなロマンスと映像美という点において、シリーズの中では群を抜いていると思っています。

 この映画のゴシックロマン的な雰囲気をより印象付けているのが、中盤のフィレンツェでの野外オペラのシーン。
(※猟奇シーンでは全くありません。美しい映像ですので、グロ系や血が苦手な方も安心してご覧ください)。



 レクター博士に見つけられて思わず目をそらすのは、フィレンツェ警察の捜査官パッツィ。彼は報奨金欲しさにレクター博士を売ろうとしており、この後で博士に惨殺されるのですが、その壮絶なシーンとは対照的な、清らかな祈りのような音楽、神秘的な舞台の様子がため息が出るほど美しい。客席に沿って並べられたキャンドルの炎も、我々を中世の時代へ誘っているかのようです。


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Vide_cor_meum.jpg 下降していく静謐なメロディラインはヘンデルの『オンブラ・マイ・フ』にも感じが似ており、舞台上の歌手の衣装も神話っぽいので、公開当時は「バロックオペラの何かなんだろうな」と思っていました。が、あらためて聴いてみると、ちょっと洗練されすぎていて現代的な感じもします。

 調べてみると、やはり既成のオペラではなく、この映画のために書き下ろされたものだったのでした。

 曲名は" Vide cor Meum " (ヴィードゥ・コル・メウム)。
 作曲者はアイルランド出身のパトリック・キャシディで、主にTVや映画音楽の仕事をしているそうです。

 オフィシャル・サイトをみつけました。どうやらこの曲が代表作となっているようで、冒頭の一節がBGMとして流れますね。

 それもそのはず。2002年のアカデミー賞授賞式では、特別功労賞の授与の際に演奏されたそうですし、映画でも《ハンニバル》のほかに《キングダム・オブ・ヘブン》でも使われているのだそうです。(この映画も観ていますが、曲には全く気がつきませんでした。あんまり好きな映画じゃなかったからでしょうか。エルサレム王の葬儀のシーンで流れるらしいのですが・・・)

 日本でもとにかく大人気だったようで、ネットのあちこちで「ハンニバルに出てきたオペラは何? 全曲を聴きたいのだけど・・・」といった書き込みが見られました。「映画は嫌いだけど、この曲聴きたさにサントラを買った」という人も。

 その " Vide cor Meum " の出典と歌詞ですが、YouTubeの映像の後半、オペラが終わった後のパーティのシーンでレクター博士(ここでは“フェル博士”と名乗っている)が説明しています。

 若き日のダンテが初恋の人ベアトリーチェへの想いを綿々とつづった詩と散文集、" La Vita Nuova " (The New Life/新生)

 ダンテなんて『神曲』以外に知りませんで(しかも、タイトルのみ)、この先の話を続けるのはかなり苦しいのですが、自分のお勉強のため、もう少し頑張ってまとめてみます。間違っていたらご指摘いただけるとありがたいです。

 このためだけに岩波文庫を買うつもりはさらさらありませんので、ネットだけでテキストが読めないかと探してみたところ、日本語訳は見つかりませんでしたが現代英語訳のサイトがありました。

 ・Dante La Vita Nuova ( The New Life )/POETRY IN TRANSLATION

 ピンポイントな出典は第三章の"Years later she greets him"のようです。

 パッツィ捜査官の妻とレクター博士が交互に暗唱する部分がこちら。映画で暗唱しているのとは言葉が一致していませんが、別の英語訳に拠っているのだと思います。

Joyfully Amor seemed to me to hold
my heart in his hand, and held in his arms
my lady wrapped in a cloth sleeping.


Then he woke her, and that burning heart
he fed to her reverently, she fearing,

afterwards he went not to be seen weeping
.


 原作小説でも、レクター博士はこの詩を朗誦しているのですが、場面は映画とは全く違います。イタリア人の学者達を相手に中世イタリア文学の素養を披露しているのでして(医学が専門じゃなかったの?)、博士の博学ぶりを示していてまことにカッコいいのですけれども、お色気的にはちょっと足りない。

 "Then he woke her, and that burning heart he fed to her reverently, she fearing"(愛の歓喜に目覚めた彼女は、おののきつつもうやうやしく、私の燃える心臓を食べてしまった)

 「愛する女性に心臓を食べられる」。
 奇妙な愛の隠喩ですが、女性FBI捜査官と人食い殺人鬼による美女と野獣的な純愛を美化するのに、これ以上理想的な表現もなかなか見つかるもんじゃありません。映画化するにあたり、この詩をオペラのシーンとして可視化して、中盤のクライマックスに据えたセンスは見事だと思います。

 オペラの歌詞はこちら。ありがたいことに、ウィキペディアに掲載されていました。

ITALIAN/LATIN

Chorus: E pensando di lei
Mi sopragiunse uno soave sonno

Ego dominus tuus
Vide cor tuum
E d'esto core ardendo
Cor tuum
(Chorus: Lei paventosa)
Umilmente pascea.
Appreso gir lo ne vedea piangendo.

La letizia si convertia
In amarissimo pianto

Io sono in pace
Cor meum
Io sono in pace
Vide cor meum



 英語訳はこちら。

ENGLISH

Chorus: And thinking of her
Sweet sleep overcame me

I am your master
See your heart
And of this burning heart
Your heart
(Chorus: She's trembling)
Humbly consumes.
Weeping, I saw him then depart from me.

Joy is converted
To bitterest tears

I am in peace
My heart
I am in peace
See my heart



 歌い手は、ソプラノ:ダニエリ・デ・ニース、テノール:ブルーノ・ラゼリッティだそうです。

fenice.jpg ちなみに、原作にもコンサート会場でレクターとパッツィ夫妻が顔を合わせる場面がありますが、野外オペラではなく、フェニーチェ劇場でのフィレンツェ室内楽団の演奏会となっています。レクターが夫人に差し出すのはリブレットではなく、17世紀に模写された楽譜でした。

 原作に出てくるオペラのシーンは、物語の本当の大ラス。こちらは既成のオペラで、ヘンデルの《タメルラーノ》。ブエノスアイレスのコロン劇場という設定です。

 実は、ネット検索で" Vide cor Meum " に行き着く前に、映画のオペラがこの《タメルラーノ》であるという情報にしばし振り回されたのです。《タメルラーノ》なんて聞いたこともありませんでしたので、すっかり信じ込んでしまったのですが、YouTubeで発見して聴いてみたところ、全然違っておりました。

 ↓こーゆーやつです。

 Vide cor Meumは“なんちゃってバロック”ですが、こちらは本物のバロックオペラ。
 普段聴き慣れないジャンルなので、とても新鮮に感じます。



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コメント 7

蘭丸

自分もこのシーン覚えてますよ。2作目は残念ながらジョディー・フォスターが出演しなかったので興味が半減してましたがそれなりに楽しめました。

自分は余り映画はみないし観てもアクション系が多いのでオペラが使われてる場面は余り記憶がありませんが印象が残ってるのは「月の輝く夜に」?に通して使われてた「ラ・ボエーム」。これは多分単に自分が主演のCherのMETに着ていった服装が凄く気に入ったからかもしれませんが。もう一つは「ショーシャンクの空に」で牢屋で「手紙の二重唱」(フィガロの結婚)が流されて囚人達が聞き惚れていた場面です。
by 蘭丸 (2008-12-30 15:26) 

clorinda

はじめまして!いつも楽しく拝読しております。

こちらで取り上げられるオペラにあまり馴染みのない私ですが(バロック~ロッシーニ以前という偏ったオペラ・ファンなのです・・・。)、しまさんの文章に惹かれて、勝手に苦手意識を持っていたヴェルディなどにも興味をもつようになりました。特にブリテンは、爆笑モノの「ビリー・バッド」解説のおかげで興味しんしんです!あと、私もおっかけ一人旅を最近するようになったのでそちらのほうのお話も・・・

ハンニバル、原作のオペラのシーンがヘンデルだったとは初めて知りました。そういえばレクター博士はハープシコードをお弾きになるのですよね。このタメルラーノですが、今月6日に演奏会形式でですが聴いてきました。毎年開催されるヘンデル・フェスティバル・ジャパンというイベントで、今年がタメルラーノだったのです。オール日本人キャストでしたが素晴らしい演奏でしたよ。

来年も面白い記事をたのしみにしておりま~す♪

by clorinda (2008-12-31 17:54) 

しま

蘭丸さん>
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
良いシーンですよね、これ。
ジュリアン・ムーアのクラリスはフォスターよりも色気の上では勝っているので、この映画には合っていたんじゃないかなと思います。

ショーシャンクで手紙の二重唱を聴かせるシーンも感動的でしたね~。
アクション映画でもオペラが登場する作品は少なくないと思います。マフィアが関係すると特に(笑)
by しま (2009-01-02 14:53) 

彩

新年おめでとうございます。

サイコキラーもスプラッタも(小説でも)大嫌い、現代ミステリ好きとしては避けて通るのに四苦八苦している私めとしましては、一生見ないであろうこの映画。
ご紹介してくださったおかげで、このシーンを楽しむことができました。
確かに印象的な曲ですね。ダニエレ・デ・ニースって名前は聞いてたけど初めて聴きました。こんな声なんだ。

興味深い解説をふむふむと拝読しておりましたら、最後にきてビデオクリップに仰天!
・・・数多い「タメルラーノ」のビデオクリップから何故これを選んでくださったか存じませんが、この人、私のご贔屓メゾさんで、しかもこれ私が大好きな方の曲なんですよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=mAIVrTuWJrs のが聴きものらしいのですが。)
ロッシーニで一目惚れ、モーツァルトも評判は上々らしいのですが
(そういえばしまさんがロンドンでご覧になった「フィガロの結婚」のケルビーノのはず)
録音はヴィヴァルディ、スカルラッティ、ハイドン、とバロックばっかり・・・。
この曲が気に入って以来、ヘンデルにはちょっとずつ親しみがわいてきたところではありますが、このDVDはタメルラーノってティムールか・・・(史劇苦手)ってとこでまだ二の足踏んでます(苦笑)。
by (2009-01-02 14:55) 

しま

clorindaさん>
はじめまして。コメントをありがとうございます。
バロック~ロッシーニ以前のオペラがお好きでいらっしゃるんですね。確かに、私のブログではほとんど取り上げたことがないかも;;;
でも幸いなことに、そちらの分野もアレンがたま~に録音や映像を残していますので、私もそのうち感想を書く機会もあるかと思います。その時はいろいろと教えてくださいね。

>レクター博士はハープシコードをお弾きになる
渋いですよね♪
私は鍵盤楽器ではハープシコードがいちばん好きなので、博士がお弾きになっているシーンは萌えました(笑)
ピアノではしゃらくさすぎて、博士の魅力は激減したでしょう。

>ヘンデル・フェスティバル・ジャパン
そのような催しがあったなんて、全く知りませんでした。
今年はもう少しバロックにも意識を向けてみようかしら・・・。

clorindaさん、今後ともどうぞよろしくお願いします。また遊びにいらしてくださいね。
by しま (2009-01-02 15:17) 

しま

彩さん>
ニアミスしてしまい失礼しました。今年もよろしくお願いしますね。

>ハンニバル
R15と言っても、サスペンス・ホラー好きの間では、「映像が美しすぎて全然グロくない!!」と不評だったりするんですよ(笑)
確かに、血がお嫌いな方にはお勧めはできないんですが、このオペラのシーンを含む前半のフィレンツェ編なんて、まるでレンブラントの世界です。

タメルラーノのこのシーンを載せたのは、検索でいちばん最初に引っかかったからです(笑)
それにしても、Anna Bonitatibusは上手ですね。
by しま (2009-01-02 16:14) 

曾良

初めまして。

私もハンニバルという映画が大好きでした。
先日、キングダム・オブ・ヘブンが深夜にテレビで放映されてたのを偶然観た際に、王が死ぬ場面で流れる美しい曲にどうも聞き覚えがあって、ずっと引っ掛かっておりました。

その後、また偶然ハンニバルを観てたらパッツィ警部夫婦がオペラを観賞するシーンでこの曲が流れ、これだ…!と衝撃を受けた記憶があります。

どうにも気になって調べ回っていると、このブログに行き当たりまして、疑問を解決して下さったので感謝しております。

今では依存するように聴き続けています。どんな精神状態で聴いても心地好い曲ですね。

その後、両映画の監督がリドリー・スコット監督であることにも気付き、衝撃を受けました。何かこう、様々な点で楽しませてくれる曲だと思います。
by 曾良 (2015-01-08 02:52) 

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