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《カルメル会修道女の対話》1958年デルヴォー盤 -- 作品の概要と感想 [オペラ録音・映像鑑賞記]

《カルメル会修道女の対話》の1文あらすじ。

フランス革命下の恐怖政治の時代、生来の弱さに打ち勝つために戒律の厳しいカルメル会修道女となった貴族の娘ブランシュが、一度は殉教を恐れて修道院を逃げ出すものの、真の宗教心に目覚めて他の修道女たちとともに断頭台の露と消える、史実をもとにした戯曲のオペラ化。

lesdialoguesdescarmelites1.jpg 美しく、哀しく、そして吐き気がするくらい気味の悪い、怖いオペラにとり憑つかれてしまいました。

 今年1月22日に亡くなったリタ・ゴールの追悼記事(⇒こちら)の際、タイトルしか知らないこの作品の録音を二つ残していることを知り、「ぜひ聴いてみたい」なんて軽い気持ちで書いたものです。

 積極的に探すつもりはなかったのですが、たまたま寄ったCD屋さんにあったので。ゴールの声聴きたさに軽い気持ちで買ってきて、晩ごはんのBGMとしてプレイヤーに突っ込んだわけだ。

 …無知っておそろしい。良い子はマネをしないでください。恐怖で胃の消化機能が止まりました。

 対話劇だから、どうせフランス語なんてわからないし(っていうか辛気臭い宗教談義に延々付き合うのは御免だから意味がわからなくてラッキー)、プーランクのモダンな音を楽しめればいいやと思っていたんですが。

 プーランクっていったら、アレンのリサイタルの予習で聴いた歌曲くらいしか知りませんから。お洒落で小気味が良くて、ちょっぴり享楽的な、軽い音楽をつくる人…というイメージがありました。

 まさかこんなキモチワルイ作品を書いていたとは…。

 まるで聴き手の心の皮膚をめくりとって、露になった赤い肉に、死神の息吹を吹きかけるかのよう。

 ひりひりと染みる恐怖です。

 修道女たちを追い詰める世情や、粛々と死を選ぶ盲目的な(あえてそう言います)信仰心も怖い。淡々とした死のモチーフもじわじわと恐怖をあおるのだけど、そういった精神的な怖さに加えて処刑のシーンのギロチンの音が生理的な痛みをも想起させるので、動物としての本能が感じる「原始的な恐怖」も大きい。

 ギロチンで首を斬られる場合、痛みを感じるのか否か。感じるのであれば、それはどんなものなのか。一緒に聴いていた妹と語り合ってしまったほどです。そしてますます気持ちが悪くなる。
 顎の骨を切るという手術をしたことのある妹は、麻酔から目覚める一瞬にとんでもない激痛を感じたそうで、その経験からギロチンの刃が首を切断する感覚を想像したそうな。

 感情だけでなく、生理的分野にまで影響をおよぼす音楽に出会ったのは初めてで、怖い怖いと言いながら自らズブズブと深みにはまる。

 私はヒロインと同じく尋常じゃない臆病者なんですが、その裏返しなのか、ホラーやバイオレンス系映画大好き。拷問や処刑というキーワードに反応してしまうので、はからずも大好物なジャンルの作品を手に取ってしまったようです。

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 基本情報をまとめておきます。

■タイトル:Dialogues des carmélites(カルメル会修道女の対話)
■作曲者:フランシス・プーランク(1899 - 1863)

■元となった史実
 1794年7月17日、ジャコバン派ロベスピエールの恐怖政治のもと、16人のカルメル会修道女が「民衆の敵」として告発され、パリの革命広場にてギロチン刑に処せられる。たまたま難を逃れたマリーという修道女が事件の伝記を書いている。
 英語ですが、こちらのページが詳しい。⇒DISCALCED CARMELITE MARTYRS OF COMPIEGNE

■原作/原案
 1931年 ゲルトルート・フォン・ル・フォールが小説『断頭台下の最後の女』を著す。史実にはいない架空のヒロイン、ブランシュ・ド・ラ・フォルスが登場。
 ル・フォールの小説を元に、レイモンド・レオポルド・ブリュックベルジュが映画シナリオを構想(1947年)。そのブリュックベルクの依頼を受けてジョルジュ・ベナノスが戯曲『カルメル会修道女の対話』を創作した。
 プーランクのオペラは、ベナノスの台詞一言一句に忠実に音楽をつけたもの(いくつか省略や順序の変更はあるそう)。
 
 初演は1957年1月26日、ミラノ・スカラ座にて。イタリア語での上演で、YouTubeにその時の録音がアップされています。⇒こちら
 マダム・リドワーヌをレイラ・ゲンチャー(ゲンチェル)、ヒロインのブランシュをヴィルジニア・ゼアーニさほど目立つ役ではありませんが、修道女マチルデ役にフィオレンツァ・コソットの名もあり。

RitaGorrmarie.jpg フランス語による初演は同年6月21日、パリ・オペラ座。指揮はピエール・デルヴォー

 今回聴いたのは1958年の録音ですが、指揮、主要キャストともに前年の初演時とほぼ同じです。演奏もパリ・オペラ座管弦楽団によるもの。
 ゴールは国内初演時のメンバーでもあったんですね。

 ヒロインのブランシュはドュニーズ・デュヴァル
 死に行く修道女たちを勇気付ける新修道院長マダム・リドワーヌはレジーヌ・クレスパンで、思わず衣装の裾に顔を埋めたくなるくらい慈愛に満ちた歌唱を繰り広げています。

 そして、ややコワモテな役柄である上級修道女マリーを歌うのが、リタ・ゴール

 マリーは意思が強く、ちょっと融通のきかなさそうな貴族出身の修道女で、何かにつけて気弱なブランシュを叱り付けます。

 病床で錯乱する修道院長マダム・クロワシー(ドュニーズ・シャーリー)に厳しい言葉を投げかけるのも、革命派政府によって修道院の解散を命じられて「殉教すべし」と主張するのもマリー。
 ドラマに表立っては出てきませんが、新修道院長リドワーヌと対立するような存在として設定されているような気もします。

 ゴールの感情の無い歌唱はそんなマリーによく合っていて、主に女声だけで頼りなく漂っていきがちな音楽とストーリーに一種の重石のような役割を果たしていると思います。

 おそらく最も堂々とした足取りで断頭台へ向かったであろうマリーが、ただ一人生き残ってしまうという結末も皮肉でよい。

 マリーが助かってしまうのは、死を恐れて逃げ出したブランシュを連れ戻すために修道院を離れたからで、その間に他の修道女たちは投獄されてしまうのです。ある意味、仲間に死を強要したにも等しいマリーが命を永らえ、そのきっかけとなったブランシュ自身は自らの意思で断頭台の階段を上っていく。輪廻とは違うのだけれど、まるで登場人物の間で生命のやりとりをしているかのようです。

 やりとりと言えば、ブランシュの死への恐れの感情を肩代わりして逝ったとされる、修道院長クロワシーの死のシーンも、前半部における薄気味の悪いクライマックスで、ドュニーズ・シャーリーは滑らかで美しい声をしているのに、ひとたび発作が起きるとぞっとするような呻き声をあげて、作品の陰鬱さを盛り上げてくれる。

 不気味な声だけど、やり過ぎないのがいいんです。この《カルメル会…》の楽曲じたいが、どこか突き放したような客観性を保っていますからね。⇒YouTube

dialoguesdescarmelites2.jpg メゾやアルトにとって、結構やりがいのある役でしょう。(YouTubeにはソプラノのアニヤ・シリヤが歌っている映像もありますが)

 後年、リタ・ゴールもマダム・クロワシーを演じるようになり、その記録や舞台写真はネットのあちこちで見られます。この作品にどっぷりハマってしまったので、リタのクロワシーの録音は早めに手に入れたいマストアイテムになりました。

 しかし、やはり最高に気味が悪くて恐ろしいのは、ラストの処刑シーンです。⇒YouTube

 マダム・リドワーヌを筆頭に修道女たち歌う聖歌、“Salve Regina(幸いなるかな、天の元后よ)” は、教会の聖務日課の終課(寝る前の祈り)の結びで歌われるもの。「いちばん最後の歌」というのも怖いが、それを複数の女声が「斉唱」しているのが更に怖い。

 なぜ怖いのか考えてみたのですが、たぶん、二人以上女性が一つ方向に目を向けて意見を全く同じうするのは現実的にあり得ない、つまり不自然極まりない現象だと思うからです。抗いようのない力が働いているとしか思えない。それが信仰であり、神への愛であり……現代的に言えば「カルト」ってことなんですが。

 そして、美しい聖歌に重なって、ひたひたと近づいてくる死神の足音のような音型も怖い。
 いや、死神が歩いてくるのではなく、死へ赴く修道女たちの行進曲なのかもしれない。だとしたら尚のこと怖い。彼女らの運命は止められないのではなく、彼女らが自ら死を目指して進んでいるということになるから。

 この音型がピアノの音まじりに聴こえてくるから更に怖い。鐘の音と、オケの一部としてのピアノの音は、昔から私は怖いのです。

 さらに、それらの怖い、延々と続く音の流れを、巨大なギロチンの刃が無慈悲にぶった切っていく、その生々しい効果音とタイミングが最高に怖い。

 あのギロチンの音はどうやって作っているのでしょうか。
 どすんっと重い落下音、金属が勢いよく木に擦れる音。切断された首が地面で跳ねる音まで耳に入ってくる瞬間もあります。

 プーランクはギロチンの音を表現するのに具体的な楽器や打楽器を指定してはいないそうですが、タイミングはしっかり楽譜に書き込まれているとのことです。

 そのタイミングは、当然ながら、美しいサルヴェ・レジーナの旋律に調和しておらず、まったくもって唐突に入ってくる。「今か?今か?」と身構えて聴くので、よけいに恐怖が募るのでしょう。

 デルヴォーによる「死の足音」はテンポが速めで、このシーンの客観性が際立っているように思います。
 指揮によっても感じ方は全く変わってくるでしょうから、新旧問わずさまざまな録音を試してみたい。

 映像もいろいろと出ていますが、純粋に怖さを感じるのなら視覚に頼らないで想像力を増幅させるのがいちばんかもしれません。
 ギロチンの音のタイミングも覚えてしまうと怖さが半減しそうなので、もっと頻繁に聴きたいのをちと我慢しているところです。

 尚、《カルメル会修道女の対話》は女声だけのオペラではなく、男声も少しは登場します。
 神父や、ブランシュの兄、騎士フォルスはテノール。ブランシュの父のド・ラ・フォルス侯爵はバリトンです。

 リタ・ゴールと多く共演したことでも有名なエルネスト・ブランもこの作品をレパートリーに入れていますので(バリトンですからブランシュの父の侯爵でしょう)、実演で何度か歌ったものと思われます。
 せっかくリタ・ゴールの録音なのだから、ブランにも参加して欲しかったと思いますが・・。

 まぁ騎士フォルスはそこそこ出番はありますが、父の侯爵が歌うのは1幕1場だけ。絶対に聴きたいという役ではないんですけどね。

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プーランク:歌劇『カルメル派修道女の対話』全曲(録音:1958年)

ブランシュ      : ドゥニーズ・デュヴァル
マダム・リドワール : レジーヌ・クレスパン
マダム・クロワシー : ドゥニーズ・シャーリィ
修道女コンスタンス : リリアン・ベルトン
上級修道女マリー : リタ・ゴール

パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団
ピエール・デルヴォー(指揮)
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リタ・ゴールの訃報(2012年1月22日) -- ブランとの共演を偲んで

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