ライオンの歌声(La Voce del Leone)-- ティッタ・ルッフォのハムレット 「乾杯の歌」 [オペラの話題]
※7/4 ルッフォの自伝『La mia Parabola』に基づき、情報の誤りについて加筆訂正しました。
※5/15 レパートリーとカルーソーとの逸話、引退後の人生について追記しました。
100人の「闘牛士の歌」聴き比べ企画、その74人目に出会ったバリトンがティッタ・ルッフォ(※1)(本名:ルッフォ・カフィエロ・ティッタ)でした。
1877年、イタリアのピサの生まれ。
蓄音機の時代ですよ、蓄音機!
なんせエジソンが蓄音機(グラモフォン)の前身のフォノグラフを発明したのが1877年なんですから。
エルネスト・ブランやバスティアニーニを「ヴィンテージ」とするならば、ルッフォは正真正銘の「アンティーク」です。
聴き比べを始めた時は「新たなご贔屓に巡り会えるかもしれない」なんて軽い気持ちで言っていましたけど、そして本当に「惚れた」と言ってよいほどの声に出会うことができましたが、こんなに大昔の人のつもりは…orz
初聴きの「闘牛士の歌」も音質は悪いものでした。伴奏はドサ回りのサーカスみたいだし。ルッフォの歌いまわしも古臭くて、この歌の歌い手としては私の評価はそう高くはありません。
けれども、「なんじゃこりゃ。変な闘牛士!」と思いながらも、指先がふっと肌にふれるかのようにかすかに心に響いてきたもの。それが、圧縮された音質を突き抜けるかのような大声量であり、バリトンらしい雄々しい声音であり、滑らかなビブラートであり、天井知らずにするすると伸びてゆく高音域であったのです。
振り返ってみれば、ピーター・グロソップの声に耳がピクッとなった時も、同じような感覚を抱いていたように思います。どちらも大声が売りな歌手だし、タイプは似ているんじゃないでしょうか。
ただ、ルッフォのほうがテクニックも声の豊かさも数段上ですね。
タイミングの良いことに、中古屋さんでルッフォのアリア集を見つけ、プレイヤーにかじり付くようにして聴いた今では、グロソップの声に惹かれたのはルッフォの声に出会うまでの一つの道標にすぎなかったのではと思うほど。
(まぁルッフォで気分が盛り上がっているので、今はそんなふうに感じるんでしょう。グロ様、ゴメンネ)
“ライオンの歌声(La Voce del Leone)” と呼ばれたのだそうです。
それはおそらく、野生的で豪快なルッフォの声を賞賛すると同時に、揶揄する意味も少なからず込められていたのかもしれません。エンリコ・カルーソーでさえも、その大声がゆえに(?)ルッフォとの共演をしぶった…との逸話も目にしました。
ルッフォが頭角を現す以前は、優美で技巧的な歌唱が主流だったとのこと。ドラマティックで力強いルッフォの歌唱は当時としては斬新だったのでしょう。彼の発声はほぼ自己流なのだそうです。
「喚き散らしているだけ」と言うアンチな批評家もいたようですが、後に続くヴィンテージ歌手たちの傾向をみると、ルッフォの存在がヴェルディ・バリトンの流れを変えたのかな?と思えなくもありません。
レナード・ウォーレンやロバート・メリルはルッフォの信奉者だったとか。
----------------------------------------
(以下、主にWikipediaとsubito - cantabileを参考にまとめました)
ティッタ・ルッフォのレパートリーは、主にイタリア物とフランス物のバリトン諸役。(※2)やはりヴェルディが多いです(というか、この時代のイタリア人歌手としては、ヴェルディは避けて通れない道)。
カルーソーとの《オテロ》の録音が残っていることもあり、ここ日本ではイァーゴで有名だと思うのですが(実際、とても似合っています)、実はそれ以上にルッフォの当たり役と呼べるものがありました。アンブロワーズ・トマの《ハムレット》題名役です。
え、トマ!? けっこうチャラチャラした歌じゃないの。あんな恥ジュカチイ歌をライオン・キングのルッフォ様が…(*゚Д゚)
ちょっと受け入れがたかったんですが、なんでも1905年1907年に歌ったのが大当たりで(初役だったんでしょうかね)(*a)、あちこちの劇場でルッフォに歌わせるためだけに頻繁に上演したと言いますので、イァーゴよかこちらの役のほうがルッフォの看板としてふさわしいでしょう。
Wikipediaによると、「乾杯の歌」を2度も3度もレコーディングしているくらいです。
私の手持ちのアリア集のが1907年のものですので、おそらくこちらが1911年1920年の録音。
でもYouTubeには1904年の音源(と、ようつべには紹介されていますが、同音源を1905年として上げている例もあり)も上がってるんですよね(笑) まぁ正確な回数はともかく、平円盤蓄音機が世に出たばかりの時代に、少なくとも3回は録っているのですから、いかにルッフォのこの歌が有名であったかを知るひとつの証であると言えます。(*b)
あ、ちなみにイタリア語歌唱ね(笑)
「ああもぅ~出会って早々、ルッフォ様のイメージが…」
と、多少フクザツな心境で聴いたのですが(トーマス・アレンの音源を部分的に聴いていたので、そっちの印象が強かった)、数秒後にはコロッと参ってしまいました(笑)
華やかな、そしてちょっとカワイイところもあるこの歌と、ルッフォの百獣の王の咆哮はミスマッチなんじゃないかと想像していたのですけれども。やはり「当たり」と言われるからにはちゃんと理由があるのですね。
ルッフォの「乾杯の歌」の魅力の一つは、曲の中盤のカデンツァ。「お、これは長いね?」と思ったポイントからさらに2倍はやらかしますからw よく息が続くものです。聴いてるこちらが酸欠を起こしそうなくらい。
でも、最大の魅力は声の響きそのものにあります。何と言えばいいのでしょうね、宮廷らしい煌びやかな旋律を歌うルッフォの声の輪郭が、黄金色に淡く光って聴こえるのです。
ライオンは猛々しいだけではなく、王者の風格と優美さをも兼ね備えていたのでした。
ルッフォのこの声にヨーロッパ中が酔いしれていたのかと思い、当時の聴衆の熱狂に自分の気持ちを重ね合わせてみると、こういったアンティーク歌手たちを想像する時のモノクロのイメージにぱぁっと総天然色の光がさしてくるような気がします。
ティタ・ルッフォも、相手役のカルーソー(※3)も、そして名の無い観客たちも、100年前のその瞬間に確かに生きていたのだなぁ、と…。
(※3) 5/15追記
ルッフォとカルーソーの共演回数は意外に少なく、数回かそこらだったようです。理由は、お互いが敬遠し合っていたとも、劇場側が二人分の高額なギャラを支払えなかった為とも言われています。
録音では前述の《オテロ》のニ重唱が唯一のものです(当時のトップ・スターによる夢の共演だったわけですね)。
二人の関係は友好的だったとのことですが、一方で、ルッフォがメトロポリタン歌劇場に出演するのをカルーソーが止めさせたという話もあるそう。
こういうのを「相手のトゥ・シューズに画鋲を入れる」と言うw 「フツーに仲悪いんじゃね?」と思ってしまうのですが。
ルッフォがようやくMetでの再デビューを果たしたのは1922年、45才の時。カルーソーが亡くなった後です。この頃には既に偉大なライオンの声も衰えていたといいます。(※4)
しかし、衰えたといってもそれはルッフォの「当社比」の話(←早くも、ルッフォを守る会)。彼は録音には意欲的だったようで、電気録音の時代に入ってもいくつかレコーディングをしています。
その100年前のルッフォの歌唱を、今こうしてCDで聴けるとは、なんて恵まれた時代に生きているのでしょう。
ブランとの出会いを思う時には必ずネットの存在に感謝するのですが、ネットよりも何よりもエジソンの発明にこそ感謝しなければなりませんね。蓄音機がなければこうしてルッフォの声に耳を傾けることはできなかったのですから。
そして、古い歌手たちのさぞ素晴らしかったであろう芸術に思いを馳せる時、決まってこう思うのです。
生命とは、物理的な世界に限定されたものだけを言うのではない。時の概念もテクノロジーも超越して、永遠に存在しているのだ、と。
5/15追記
ルッフォは引退後、1937年にイタリアへ戻りましたが、反ファシズム、社会主義者として逮捕されました。義理の兄弟が社会主義者で、ファシストに殺されたということがあったようです。
1953年、フィレンツェにて76才で亡くなりました。心臓病だったそうです。
『La mia parabola』という自伝があります。ありがたいことに英訳も出ているようなので、機会があったら読んでみよう。
↓
7/29追記:自伝、読みました。
・ハイライト/前編 -- 生い立ち、デビューからハムレットまで。
・ハイライト/後編 -- 世界制覇。そして放物線は下降していく。
----------------------------------------
(※1)「ティタ・ルッフォ」という表記もあります。カワイイので最初はそちらに倣っていましたが、やっぱりイタリア語っぽくしたくて変更。「ティータ・ルッフォ」も見かけたことあるけど、それはさすがに・・。
(※2)ティタ・ルッフォのレパートリー:
リゴレット(リゴレット)、ルーナ伯爵(イル・トロヴァトーレ)、アモナズロ(アイーダ)、ジェルモン(椿姫)、ドン・カルロ(エルナーニ)、ドン・カルロ(運命の力)、ナブッコ(ナブッコ)、レナート(仮面舞踏会)、イァーゴ(オテロ)、フィガロ(セビリアの理髪師)、ジェラール(アンドレア・シェニエ)、ヴァランタン(ファウスト)、マルチェッロ(ラ・ボエーム)、スカルピア(トスカ)、バルナバ(ラ・ジョコンダ)、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ジョヴァンニ)、ハムレット(ハムレット)、ネリュスコ(アフリカの女)、カスカール(ザザ)、ネリ(おふざけの夕食)、クリストフォーロ・コロンボ(クリストフォーロ・コロンボ)、などなど・・
(※4)
ルッフォの声が早くに衰えてしまったのは、自己流で歌っていたという要因が大きいようです。まぁ衰えたといっても、所詮はルッフォの「当社 r(ry
(*a)ハムレットのロールデビューは、1907年、ポルトガルはリスボンのサンカルロ劇場。
(*b)自伝のディスコグラフィで確認したところ、「乾杯の歌」録音回数は3回です。
1904年:(パテ兄弟社)
1907年:(グラモフォン会社His Master's Voice レーベル or ビクタートーキングマシーン会社)
1920年:(同上)
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関連記事リンク
■もう少し、ルッフォのこと。-- キャリア初期~中期について
■No.71~75 フィッシャー=ディスカウ, レイミー, ヴィノグラードフ②, ルッフォ, ドス
(闘牛士の歌、聴き比べ。ライオン・キングとの初邂逅)
※5/15 レパートリーとカルーソーとの逸話、引退後の人生について追記しました。
100人の「闘牛士の歌」聴き比べ企画、その74人目に出会ったバリトンがティッタ・ルッフォ(※1)(本名:ルッフォ・カフィエロ・ティッタ)でした。
1877年、イタリアのピサの生まれ。
蓄音機の時代ですよ、蓄音機!
なんせエジソンが蓄音機(グラモフォン)の前身のフォノグラフを発明したのが1877年なんですから。
エルネスト・ブランやバスティアニーニを「ヴィンテージ」とするならば、ルッフォは正真正銘の「アンティーク」です。
聴き比べを始めた時は「新たなご贔屓に巡り会えるかもしれない」なんて軽い気持ちで言っていましたけど、そして本当に「惚れた」と言ってよいほどの声に出会うことができましたが、こんなに大昔の人のつもりは…orz
初聴きの「闘牛士の歌」も音質は悪いものでした。伴奏はドサ回りのサーカスみたいだし。ルッフォの歌いまわしも古臭くて、この歌の歌い手としては私の評価はそう高くはありません。
けれども、「なんじゃこりゃ。変な闘牛士!」と思いながらも、指先がふっと肌にふれるかのようにかすかに心に響いてきたもの。それが、圧縮された音質を突き抜けるかのような大声量であり、バリトンらしい雄々しい声音であり、滑らかなビブラートであり、天井知らずにするすると伸びてゆく高音域であったのです。
振り返ってみれば、ピーター・グロソップの声に耳がピクッとなった時も、同じような感覚を抱いていたように思います。どちらも大声が売りな歌手だし、タイプは似ているんじゃないでしょうか。
ただ、ルッフォのほうがテクニックも声の豊かさも数段上ですね。
タイミングの良いことに、中古屋さんでルッフォのアリア集を見つけ、プレイヤーにかじり付くようにして聴いた今では、グロソップの声に惹かれたのはルッフォの声に出会うまでの一つの道標にすぎなかったのではと思うほど。
(まぁルッフォで気分が盛り上がっているので、今はそんなふうに感じるんでしょう。グロ様、ゴメンネ)
“ライオンの歌声(La Voce del Leone)” と呼ばれたのだそうです。
それはおそらく、野生的で豪快なルッフォの声を賞賛すると同時に、揶揄する意味も少なからず込められていたのかもしれません。エンリコ・カルーソーでさえも、その大声がゆえに(?)ルッフォとの共演をしぶった…との逸話も目にしました。
ルッフォが頭角を現す以前は、優美で技巧的な歌唱が主流だったとのこと。ドラマティックで力強いルッフォの歌唱は当時としては斬新だったのでしょう。彼の発声はほぼ自己流なのだそうです。
「喚き散らしているだけ」と言うアンチな批評家もいたようですが、後に続くヴィンテージ歌手たちの傾向をみると、ルッフォの存在がヴェルディ・バリトンの流れを変えたのかな?と思えなくもありません。
レナード・ウォーレンやロバート・メリルはルッフォの信奉者だったとか。
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(以下、主にWikipediaとsubito - cantabileを参考にまとめました)
ティッタ・ルッフォのレパートリーは、主にイタリア物とフランス物のバリトン諸役。(※2)やはりヴェルディが多いです(というか、この時代のイタリア人歌手としては、ヴェルディは避けて通れない道)。
カルーソーとの《オテロ》の録音が残っていることもあり、ここ日本ではイァーゴで有名だと思うのですが(実際、とても似合っています)、実はそれ以上にルッフォの当たり役と呼べるものがありました。アンブロワーズ・トマの《ハムレット》題名役です。
え、トマ!? けっこうチャラチャラした歌じゃないの。あんな恥ジュカチイ歌をライオン・キングのルッフォ様が…(*゚Д゚)
ちょっと受け入れがたかったんですが、なんでも
Wikipediaによると、「乾杯の歌」を
私の手持ちのアリア集のが1907年のものですので、おそらくこちらが
でもYouTubeには1904年の音源(と、ようつべには紹介されていますが、同音源を1905年として上げている例もあり)も上がってるんですよね(笑) まぁ正確な回数はともかく、平円盤蓄音機が世に出たばかりの時代に、少なくとも3回は録っているのですから、いかにルッフォのこの歌が有名であったかを知るひとつの証であると言えます。(*b)
あ、ちなみにイタリア語歌唱ね(笑)
「ああもぅ~出会って早々、ルッフォ様のイメージが…」
と、多少フクザツな心境で聴いたのですが(トーマス・アレンの音源を部分的に聴いていたので、そっちの印象が強かった)、数秒後にはコロッと参ってしまいました(笑)
華やかな、そしてちょっとカワイイところもあるこの歌と、ルッフォの百獣の王の咆哮はミスマッチなんじゃないかと想像していたのですけれども。やはり「当たり」と言われるからにはちゃんと理由があるのですね。
ルッフォの「乾杯の歌」の魅力の一つは、曲の中盤のカデンツァ。「お、これは長いね?」と思ったポイントからさらに2倍はやらかしますからw よく息が続くものです。聴いてるこちらが酸欠を起こしそうなくらい。
でも、最大の魅力は声の響きそのものにあります。何と言えばいいのでしょうね、宮廷らしい煌びやかな旋律を歌うルッフォの声の輪郭が、黄金色に淡く光って聴こえるのです。
ライオンは猛々しいだけではなく、王者の風格と優美さをも兼ね備えていたのでした。
ルッフォのこの声にヨーロッパ中が酔いしれていたのかと思い、当時の聴衆の熱狂に自分の気持ちを重ね合わせてみると、こういったアンティーク歌手たちを想像する時のモノクロのイメージにぱぁっと総天然色の光がさしてくるような気がします。
ティタ・ルッフォも、相手役のカルーソー(※3)も、そして名の無い観客たちも、100年前のその瞬間に確かに生きていたのだなぁ、と…。
(※3) 5/15追記
ルッフォとカルーソーの共演回数は意外に少なく、数回かそこらだったようです。理由は、お互いが敬遠し合っていたとも、劇場側が二人分の高額なギャラを支払えなかった為とも言われています。
録音では前述の《オテロ》のニ重唱が唯一のものです(当時のトップ・スターによる夢の共演だったわけですね)。
二人の関係は友好的だったとのことですが、一方で、ルッフォがメトロポリタン歌劇場に出演するのをカルーソーが止めさせたという話もあるそう。
こういうのを「相手のトゥ・シューズに画鋲を入れる」と言うw 「フツーに仲悪いんじゃね?」と思ってしまうのですが。
ルッフォがようやくMetでの再デビューを果たしたのは1922年、45才の時。カルーソーが亡くなった後です。この頃には既に偉大なライオンの声も衰えていたといいます。(※4)
しかし、衰えたといってもそれはルッフォの「当社比」の話(←早くも、ルッフォを守る会)。彼は録音には意欲的だったようで、電気録音の時代に入ってもいくつかレコーディングをしています。
その100年前のルッフォの歌唱を、今こうしてCDで聴けるとは、なんて恵まれた時代に生きているのでしょう。
ブランとの出会いを思う時には必ずネットの存在に感謝するのですが、ネットよりも何よりもエジソンの発明にこそ感謝しなければなりませんね。蓄音機がなければこうしてルッフォの声に耳を傾けることはできなかったのですから。
そして、古い歌手たちのさぞ素晴らしかったであろう芸術に思いを馳せる時、決まってこう思うのです。
生命とは、物理的な世界に限定されたものだけを言うのではない。時の概念もテクノロジーも超越して、永遠に存在しているのだ、と。
5/15追記
ルッフォは引退後、1937年にイタリアへ戻りましたが、反ファシズム、社会主義者として逮捕されました。義理の兄弟が社会主義者で、ファシストに殺されたということがあったようです。
1953年、フィレンツェにて76才で亡くなりました。心臓病だったそうです。
『La mia parabola』という自伝があります。ありがたいことに英訳も出ているようなので、機会があったら読んでみよう。
↓
7/29追記:自伝、読みました。
・ハイライト/前編 -- 生い立ち、デビューからハムレットまで。
・ハイライト/後編 -- 世界制覇。そして放物線は下降していく。
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(※1)「ティタ・ルッフォ」という表記もあります。カワイイので最初はそちらに倣っていましたが、やっぱりイタリア語っぽくしたくて変更。「ティータ・ルッフォ」も見かけたことあるけど、それはさすがに・・。
(※2)ティタ・ルッフォのレパートリー:
リゴレット(リゴレット)、ルーナ伯爵(イル・トロヴァトーレ)、アモナズロ(アイーダ)、ジェルモン(椿姫)、ドン・カルロ(エルナーニ)、ドン・カルロ(運命の力)、ナブッコ(ナブッコ)、レナート(仮面舞踏会)、イァーゴ(オテロ)、フィガロ(セビリアの理髪師)、ジェラール(アンドレア・シェニエ)、ヴァランタン(ファウスト)、マルチェッロ(ラ・ボエーム)、スカルピア(トスカ)、バルナバ(ラ・ジョコンダ)、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ジョヴァンニ)、ハムレット(ハムレット)、ネリュスコ(アフリカの女)、カスカール(ザザ)、ネリ(おふざけの夕食)、クリストフォーロ・コロンボ(クリストフォーロ・コロンボ)、などなど・・
(※4)
ルッフォの声が早くに衰えてしまったのは、自己流で歌っていたという要因が大きいようです。まぁ衰えたといっても、所詮はルッフォの「当社 r(ry
“I never knew how to sing, that is why my voice went by the time I was fifty. I have no right to capitalise on my former name and reputation and try to teach youngsters something I never knew how to do myself.”
私は歌い方というものを知りません。それが50才を前に声を失った理由です。過去の名声や評判を利用して、自分でもわかっていなかった事を若い人たちに教えるなんてことはできないのです。
(*a)ハムレットのロールデビューは、1907年、ポルトガルはリスボンのサンカルロ劇場。
(*b)自伝のディスコグラフィで確認したところ、「乾杯の歌」録音回数は3回です。
1904年:(パテ兄弟社)
1907年:(グラモフォン会社His Master's Voice レーベル or ビクタートーキングマシーン会社)
1920年:(同上)
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関連記事リンク
■もう少し、ルッフォのこと。-- キャリア初期~中期について
■No.71~75 フィッシャー=ディスカウ, レイミー, ヴィノグラードフ②, ルッフォ, ドス
(闘牛士の歌、聴き比べ。ライオン・キングとの初邂逅)
2012-05-10 06:03
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コメント(8)
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はじめまして。ルッフォはカルーゾー、ポンセルとともに「三人の奇跡」とセラフィンが言ったとか(比較的よく知られている評言ですが、昔、これをウォルター・レッグの回想録で初めて知りました)。私個人は、彼以前のバッティステーニやデ・ルーカありたりが好きなのですが、ルッフォも嫌いではありません。
たぶん「闘牛士の歌」を録音していないので、ここには登場しないと思われる、Arthur Endrezeというアメリカ生まれで、主にフランスで活躍したバリトンがいます(ご存じなのではと思いますが)。ルッフォ以前のスタイルの歌手だと思いますが、私は大好きです。近い将来マーストンというレーベルから彼の全集が出るらしいので楽しみにしています。
追伸:私もブランやリタ・ゴールが好きでCDを購入してきました。
by 名古屋のおやじ (2012-05-11 18:14)
■名古屋のおやじさん
わが茅屋へようこそおいで下さいましたm(_ _)m
バッティスティーニは今回はじめて(YouTubeで)聴きました。
昔の発声は柔らかかったんですね。
当時のヴェルディの演奏も今とは全く違ったものだったんでしょう。
私の「ヴェルディ・スイッチ理論」が19世紀後半にも通用するのかどうか、検証してみたくなります(笑)
>Arthur Endreze
いや、全く存知ませなんだ。
しかし闘牛士の歌はありました!
http://www.youtube.com/watch?v=DDOU5VakrvM
1930年の録音らしいですね。さっそくリストに加えます。
ありがとうございます!!
>彼の全集
…そういう世界なんですね…(*゚Д゚)
ついこないだまで、こういうアンティーク系の録音を愛好する方々のことは「物好きだな~」なんて思っていたんですが、実際にハマってみると夢とロマンにあふれていて楽しいですね。
現代に戻ってこれなさそうで怖いくらいです。
今後ともよろしくお願いします。
by しま (2012-05-12 00:02)
しまさん
Endrezeの「闘牛士の歌」、あったんですね。我が家にあるVAIレーベルから出ているCDには収録されていないので、「ない」と思い込んでいました。超有名曲なのになぜ入っていないのかな?
パッティスティーニの全集もEndrezeのと同じレーベルから出るようですし、少し前にはここから、当方が気に入っているVanni-Marcoux(ドン・キショット役が有名。マスネは初演者のシャリアピンよりも、彼の演唱を好んだそうです)のセットがリリースされました。
「アンティーク系」の録音は、おもしろいものがいっぱいあると思います。
私は、10数年前からでしょうか、イギリスのAlan BlythやJ.B.Steaneなど、声楽を得意分野にしていた批評家たちの著作を手掛かりに、SP時代の歌手たちの録音も、いろいろ楽しんでいます。
by 名古屋のおやじ (2012-05-12 06:08)
■名古屋のおやじさん
マニア向けってことで、超有名曲はあえて外した…なんてことは…ないか。
全集の発売が待たれますね。
>Vanni-Marcoux
YouTubeでちょっと聴いてきました。やはり今のバスとは違いますね。
ルッフォとタメなんですね(だから何だって話ですが)。
>声楽を得意分野にしていた批評家たちの著作を手掛かりに
ははぁ、そういうところから情報を集めればいいんですね。
昔の人は特に、ネットでの情報収集は難しいです。
図書館に通おうかな。教えてくださってありがとうございます。
by しま (2012-05-12 23:30)
>トマの《ハムレット》題名役
最近の上演は必ずフランス語なので、興味津々でイタリア語歌唱を聞いてみました。…まるでヴェルディ作曲!?という雰囲気ですね(^_^;)男臭くていいです!(優柔不断なハムレットとしては「違う」のかもしれませんが…)
あまりに力強くて魅力的な歌声なので、Youtubeでヴェルディを歌っている音源を捜していろいろ聴きました。リゴレットなんてあまりに素敵だったのでブックマークしちゃいましたよ!正直トレアドールではあまりピンとこなかったのですが、イタリアものはどれも素晴らしいですね♪素敵な歌手を知ることができて嬉しいです。ありがとうございます。
by Sardanapalus (2012-05-21 21:25)
■サルダナさん
>ハムレット
不思議とルッフォの声に合っているんですよね。
しかし、この歌だけならいいけど、全曲をあの歌唱で通したのかと想像すると笑えます。仰るとおり、ハムレットのイメージとは違うので、なぜ当たっちゃったのかは謎。
ルッフォはやっぱりヴェルディですね。
トレアドールはねぇ…(笑) あれを聴いて、「いや、この人はイァーゴだろ?」と思って探してみたら普通にYouTubeにあって、それを聴いた瞬間に惚れました。
リゴレットもレナートもルーナも良いし♪
こないだまでのバスティアニーニ熱はいったいどこへ!?(*゚Д゚)
by しま (2012-05-22 01:38)
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/c3b5977b282e35924ad98d06702f1c44
ティッタ・ルッフォが歌う「アンドレア・シェニエ」~祖国の敵 - 1920 録音
TITTA RUFFO - 1920 - NEMICO DELLA PATRIA? - ANDREA CHENIER
by おせっかいさん (2012-06-16 10:26)
ありがとうございます。
渡辺健一さんのこの文は、ルッフォについて調べ始めた頃に拝読したことがあります。とても胸が熱くなったものです。
by しま (2012-06-17 01:20)