カルーソーの歌を “聴く” ヘレン・ケラー -- 魂の対話 [オペラの話題]
小学生の頃に読んだ伝記に、
“ヘレン・ケラー(1880-1968)が有名なオペラ歌手の唇と喉に触れて、その歌を聴いた”
というエピソードがありました。
なにしろ子どもだったので、「振動を感じるだけじゃ歌なんてわかんないのに」と思いましたが、それなりに「いい話だな」と結論づけて、今に至るまで完全に忘れていたものです。
YouTubeでたまたまこの動画を見つけて、「有名なオペラ歌手」というのがエンリコ・カルーソー(1873-1921)であったことを、ワタクシ、初めて知りました。
(右上の画像をクリックするとYouTubeに飛びます)
もしかしたら、伝記にもちゃんと名前が書いてあったのかもしれませんが。
そのエピソードが載っている同じページに、「数人のダンサーに囲まれて、バレエを“感じ”ているヘレン・ケラー」の写真があって、そちらのほうが子ども心に納得したので、バレエのエピソードは成人してからも何度も思い出すことがあったんですけれども。
ケラーとカルーソーの出会いは1916年4月24日、ジョージア州アトランタでのことでした。ジョージアン・テラス・ホテルに宿泊していたカルーソーの部屋だったそうです。この時の様子はフィルムにも収められたとYouTubeのコメント欄にはありますが、サイレント映画の時代ですので、実際の音声は残っていないでしょう。
リンク先のYouTubeの動画は、当時の新聞記事の画像と、カルーソーの歌う《サムソンとデリラ》3幕のアリア、「ああ!私の不幸をご覧ください」の音声を組み合わせたものです。小学校中学年当時とは違ってとても心に響きました。
当時の様子を記したNYタイムズのコラム(1916/4/25)があります。⇒こちら
以下におおまかな訳を紹介します。
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子どもの頃の記憶では、伝記にはもう少し「感動的な美談」としてまとめられていたような気がするのですが、この記事ではもう少し軽く、微笑ましい感じがします。
とは言うものの「美談」には違いない。カルーソーの歌った嘆きのアリアは、ペリシテ人に捕らえられ両目を抉られたサムソンが神の慈悲を請うというものですし、「いかにも」という感じはあります。
ケラーとカルーソーを引き合わせたのが新聞社なのか別の団体なのかよくわかりませんが、穿った見方をしてしまえば、ちょっとした企画といったところでしょう。カルーソーにとっても、ケラーの活動にとっても良い宣伝になったと思います。もちろん、良いことです。
そして、カルーソーの人並外れた声のバイブレーションを感じたヘレン・ケラーの衝撃の涙や、輝ける魂を持つ女性の指で自らの「声」に触れられたカルーソーの感慨が混じり気の無い真実であるということもわかります。
にわかファンとなったティッタ・ルッフォのおかげでカルーソーについても興味を持つようになり、5枚組の録音集をがっつり聴いたりしているのですが、日々の生活に追われて魂がぐったりと疲れきった時、このたぐい稀な声と歌唱に既にいくどとなく救われました。「癒し」なんて生やさしいレベルではなく、「救済」と呼ぶにふさわしいほどの経験も…。
鼓膜と指と、振動を感じる器官の違いはあっても、その時の私はヘレン・ケラーと同じものを“聴いて”いたのではないかと思うのです。
歌い手と聴き手の魂が、二つの音叉のように共鳴しあう。音楽を“聴く”感動とは、そういうものなんだろうと思います。
一方通行ではない。私たちにとっての音楽体験も、ヘレン・ケラーとカルーソーのような魂と魂で交わす対話なのだと思います。
“ヘレン・ケラー(1880-1968)が有名なオペラ歌手の唇と喉に触れて、その歌を聴いた”
というエピソードがありました。
なにしろ子どもだったので、「振動を感じるだけじゃ歌なんてわかんないのに」と思いましたが、それなりに「いい話だな」と結論づけて、今に至るまで完全に忘れていたものです。
YouTubeでたまたまこの動画を見つけて、「有名なオペラ歌手」というのがエンリコ・カルーソー(1873-1921)であったことを、ワタクシ、初めて知りました。
(右上の画像をクリックするとYouTubeに飛びます)
もしかしたら、伝記にもちゃんと名前が書いてあったのかもしれませんが。
そのエピソードが載っている同じページに、「数人のダンサーに囲まれて、バレエを“感じ”ているヘレン・ケラー」の写真があって、そちらのほうが子ども心に納得したので、バレエのエピソードは成人してからも何度も思い出すことがあったんですけれども。
ケラーとカルーソーの出会いは1916年4月24日、ジョージア州アトランタでのことでした。ジョージアン・テラス・ホテルに宿泊していたカルーソーの部屋だったそうです。この時の様子はフィルムにも収められたとYouTubeのコメント欄にはありますが、サイレント映画の時代ですので、実際の音声は残っていないでしょう。
リンク先のYouTubeの動画は、当時の新聞記事の画像と、カルーソーの歌う《サムソンとデリラ》3幕のアリア、「ああ!私の不幸をご覧ください」の音声を組み合わせたものです。小学校中学年当時とは違ってとても心に響きました。
当時の様子を記したNYタイムズのコラム(1916/4/25)があります。⇒こちら
以下におおまかな訳を紹介します。
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ケラーさん、テノールの歌声を“聴く”
---- 見えずとも、聴こえずとも。カルーソーの歌うアリアを指で感じて ----
4月24日、アトランタ。世界的に有名な三重苦の女性、ヘレン・ケラーさんは、唇と喉に指で触れるという方法でエンリコ・カルーソー氏の歌を聴いた。カルーソーが歌ったのは《サムソンとデリラ》より、サムソンの嘆きの歌。
比類なきテノールの声は繊細な指先を通して魂へ伝わり、ケラーさんは目に涙を浮かべながら「すばらしい、すばらしい」と繰り返した。
カルーソーの歌う最終幕冒頭のアリアの圧倒的な力は、同席していた他の歌手たちの涙をも誘った。
歌声が涙にむせぶような色を帯びると、ケラーさんは「お顔の表情は見えませんが。悲しそうなお声になったのがわかります」と言った。
カルーソー氏は唇に置かれたケラーさんの手を通して、「あなたの指にあなたの魂を感じます。そしてあなたの青い目にあなたの魂が輝いているのが見えますよ」と言った。
力強いテノールの声にケラーさんはすっかり参ってしまったようだ。
子どもの頃の記憶では、伝記にはもう少し「感動的な美談」としてまとめられていたような気がするのですが、この記事ではもう少し軽く、微笑ましい感じがします。
とは言うものの「美談」には違いない。カルーソーの歌った嘆きのアリアは、ペリシテ人に捕らえられ両目を抉られたサムソンが神の慈悲を請うというものですし、「いかにも」という感じはあります。
ケラーとカルーソーを引き合わせたのが新聞社なのか別の団体なのかよくわかりませんが、穿った見方をしてしまえば、ちょっとした企画といったところでしょう。カルーソーにとっても、ケラーの活動にとっても良い宣伝になったと思います。もちろん、良いことです。
そして、カルーソーの人並外れた声のバイブレーションを感じたヘレン・ケラーの衝撃の涙や、輝ける魂を持つ女性の指で自らの「声」に触れられたカルーソーの感慨が混じり気の無い真実であるということもわかります。
にわかファンとなったティッタ・ルッフォのおかげでカルーソーについても興味を持つようになり、5枚組の録音集をがっつり聴いたりしているのですが、日々の生活に追われて魂がぐったりと疲れきった時、このたぐい稀な声と歌唱に既にいくどとなく救われました。「癒し」なんて生やさしいレベルではなく、「救済」と呼ぶにふさわしいほどの経験も…。
鼓膜と指と、振動を感じる器官の違いはあっても、その時の私はヘレン・ケラーと同じものを“聴いて”いたのではないかと思うのです。
歌い手と聴き手の魂が、二つの音叉のように共鳴しあう。音楽を“聴く”感動とは、そういうものなんだろうと思います。
一方通行ではない。私たちにとっての音楽体験も、ヘレン・ケラーとカルーソーのような魂と魂で交わす対話なのだと思います。
2012-06-19 12:03
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