映画《1900年》とジュゼッペ・ヴェルディ [オペラの話題]
ベルナルド・ベルトルッチの《1900年》(原題:Novecento)は、学生時代に観て大衝撃を受けて以来、私にとっての「ベスト5」に常にランクインされている作品です。
1976年に公開。かなり古い映画なのですが、今年の6月にようやくDVD化されました!!
ということで、十数年ぶりに鑑賞しました。
物語の主軸は、大地主の子として生まれたアルフレード・ベルリンギエリ(ロバート・デ・ニーロ)と小作人の子オルモ(ジェラール・ドバルデュー)の半生に置かれていますが、背景には20世紀前半のイタリア現代史――一次大戦、ファシズムの台頭、二次大戦終了まで――が壮大に描かれます。
特に興味深いのは、19~20世紀初頭に発展した農業労働者による社会主義運動の様子です。
舞台となっているのはイタリア北部のエミリア=ロマーニャ州。
小作人を使った大規模農業経営が主流で、経営者側と労働組合との闘争が激しかったといいます。一次大戦後、特にこの地方でファシズム運動が激化し、社会主義に対する弾圧が強まったのも、農村部における組合の支配が強固だったからとの事。
アルフレードとオルモは、1901年の夏の同じ日に生まれたということで親友として成長しますが(長じてからは、ふざけて“双子だ”と言うことも)、属する階級が違うために、やがて宿命的な対立関係に追い込まれます。
そのような「カインとアベル」的な物語に加え、イタリアのポー平原の雄大な自然を背景に、まるで農村絵画のように美しい映像、ベルトルッチお得意のデカダンスやエログロ描写が満載で、上映時間316分という驚異的な長さにもかかわらず、飽きも疲れもせずにラストまで鑑賞することができました。
ちょうどティッタ・ルッフォの自伝を読んでいるところなのですが、彼もまたこの時代のファシズムの暴力に抗って犠牲を強いられた人なので、ファシスト党員による社会主義者の農民虐殺シーンは大変胸に迫りました。
一方、この《1900年》という映画は随所にオペラのモチーフ――有名なヴェルディのアリアなど――が織り込まれているため、「あ、これは!」と宝探しをする、そんな楽しみも大きかったです。
ベルトルッチは、一大叙事詩的なこの映画を「オペラ的な作品」であると語っているようです。元記事がわからないので何をもって「オペラ的」と言っているのかはわからないのですが、この映画は「歴史」を描いたものではなく「美」と「ファンタジー」であるとベルトルッチ自身が語っていることにヒントがありそうです。
そのファンタジー的側面を強調するのに、数々のオペラの断片を効果的に使っているというわけです。
主軸のストーリーは、道化姿の男の「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ!」という叫びと、続いて流れる《リゴレット》の陰鬱な前奏曲から始まります。
それ以外にも、ヴェルディや有名なイタリア・オペラのモチーフがあれこれ登場します。興味深いので、思いつく限り並べてみることにしました。
-----------------------------------------
・1901年のある晩。道化の衣装をつけた小男が「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ!」と叫び、酔いつぶれる。《リゴレット》の前奏曲が流れる。
・道化男はリゴレットと呼ばれている。小作人ダルコ一族の一人で、一次大戦が終わった頃には普通に農作業に従事しているが、オルモとアルフレードが生まれた時分は道化の衣装をつけ、大地主の言動に茶々を入れたり、ヤボ用を申し付かったりしている。
・跡継ぎの孫、アルフレードが生まれて喜んだベルリンギエリ(バート・ランカスター)は、氷室からシャンパンを取り出す。それを知った神父は《仮面舞踏会》のレナートのアリア、"Alla vita che t'arride (希望と喜びに満ちて)" を歌う。
・アルフレードの父ジョヴァンニ(ロモロ・ヴァリ)が食事中に「私もこんな田舎を飛び出して奔放な恋を楽しみたかった!」と嘆くと、書斎でそれを聞きつけた祖父が《イル・トロヴァトーレ》の“Il balen del suo sorriso(君がほほ笑み)”の一節を聞こえよがしに歌う。
・アルフレードの祖父のベルリンギエリが自殺をする。ジョヴァンニはベルリンギエリを病気と偽り、亡骸をベッドに寝かせて偽の遺言状を作らせる。明らかにプッチーニの《ジャンニ・スキッキ》だが、映画では幼いアルフレードが祖父の死に気付いて泣き叫ぶ悲惨なシーンとして描かれる。
・一次大戦後。小作人の監督として雇われた男の名前はアッティラ・メランキーニ(ドナルド・サザーランド)。後に残虐なファシスト党員となり、社会主義者の小作人たちを虐げる存在となる。ヴェルディの《アッティラ》題名役は、イタリアに攻め込んだフン族の王。
・アルフレードの従姉妹のレジーナ(ラウラ・ベッティ)は、アッティラを唆してベルリンギエリ家の財産を我がものにしようとたくらむ。後にアッティラの妻となるレジーナ、その名前の意味は「女王」である。アッティラと2人で殺した少年の霊に怯える姿は、ヴェルディのマクベス夫人の狂乱を想像させる。
・ファシスト党員となり、社会主義者の一掃を誓うアッティラは、猫を頭突きで殺してから“All'a~~~rmi~!!(武器をとれ!!)” と歌う。続いて党員たちの大合唱。ここはもう《イル・トロヴァトーレ》第3幕の“あの”シーンそのもの! メロディは違うが。
・アルフレードと美女アーダ(ドミニク・サンダ)の結婚披露宴で、招待客の一人ピオッピ夫人(アリダ・ヴァリ)が歌うのが"D'amor sull'ali rosee(恋はばら色の翼に乗って)" 。《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラのカヴァティーナ。
・夫がファシスト達の言いなりになっていることを悩むアーダは、真夜中にオルモの家を訪れて胸の内を明かす。その様子を外から眺めるアルフレード。暖炉の前でうたた寝をしていたオルモの母(アンナ・ヘンケル)が突然目覚め、髪を振り乱して不吉な未来を口走る。その姿はまるで《イル・トロヴァトーレ》のアズチェーナ。
・クリスマスの夜、居酒屋で酔い潰れているアーダの背後の壁には、《オテロ》第4幕のシーンの絵画が掛かっている。アーダを連れ戻しにきたアルフレードは、親友オルモとの仲を疑って彼女をなじる。
・アッティラ達ファシスト党員の農民虐殺シーン。豪雨の中で立たされている農民の中に、かつてのリゴレットのような道化の衣装をつけた少年がいる。少年がなぜそのような姿をしているのかは不明。
・夫を拒んで何年も部屋に閉じこもったアーダは、ある朝ついに屋敷を出ていく。アルフレードが妻の部屋に入ると、そこに立っていたのは妻の衣装を身に着けた小間使いの滑稽な姿。モーツァルト《フィガロの結婚》を連想させるシーン。
(他にもあったら教えてください)
-----------------------------------------
ヴェルディ作品が多いのは、やはりイタリアの国民的英雄だからでしょうか。
イタリア統一運動の象徴のような存在であったヴェルディの死によって新世紀が始まり、新たな思想による階級闘争の開始を告げるというのが大変興味深いです。
冒頭に流れる《リゴレット》の前奏曲はモンテローネ伯爵の呪いを表しています。
アルフレードの祖父であるベルリンギエリは、「呪いとは(性器が)立たなくなることだ」と呟き、牛舎で首をくくって自殺します。背中にこぶのある男にリゴレットの扮装をさせていたこの大地主の死は、放蕩の限りを尽くしたマントヴァ侯爵のなれの果てと言えるかもしれません。
アルフレードとオルモの周囲に《イル・トロヴァトーレ》の要素がちらほらしているのは、2人が同じ日に生まれた「身分違い」の「兄弟」のような関係だからでしょう。アルフレードがルーナ、オルモがマンリーコというところです。
が、三角関係の話はこの映画には出てきません。強いて言うなら、アルフレードとオルモが街に遊びに出かけた際の「3Pシーン」があるくらい。
アルフレードの妻アーダは、明らかにオルモを頼りにしており、一見三角関係に見えますが、アーダとオルモの間には恋愛感情はありません。アルフレードの嫉妬は(自分でも言っていますが)妄想であり、壁に掛かった《オテロ》の絵画はその象徴というわけです。
…そもそも、上記のような仕掛けがなくとも、この映画は全体的に“ヴェルディっぽい” 雰囲気が濃厚です。
ストーリーが陰鬱でドラマチックだからというのもあって、俳優たちの演技もとにかくオーバー。「モルタ!」「パッツォ!」「サングェ!」ともの凄い剣幕でまくしたて、キイキイワァワァわめき続けます。5時間ぶっ通しでとんでもないハイテンションなわけです。5時間といったら、ワーグナーの《神々の黄昏》よりも長いのですよ!?
そんなところひとつとっても、呆れるほどにイタオペな映画なわけです(笑)
--------------------------------------------------
なんと全編がYTに上がっております
Novecento [1900] - 1976 - Part 1 - Bernardo Bertolucci
Novecento [1900] - 1976 - Part 2 - Bernardo Bertolucci
1976年に公開。かなり古い映画なのですが、今年の6月にようやくDVD化されました!!
ということで、十数年ぶりに鑑賞しました。
物語の主軸は、大地主の子として生まれたアルフレード・ベルリンギエリ(ロバート・デ・ニーロ)と小作人の子オルモ(ジェラール・ドバルデュー)の半生に置かれていますが、背景には20世紀前半のイタリア現代史――一次大戦、ファシズムの台頭、二次大戦終了まで――が壮大に描かれます。
特に興味深いのは、19~20世紀初頭に発展した農業労働者による社会主義運動の様子です。
舞台となっているのはイタリア北部のエミリア=ロマーニャ州。
小作人を使った大規模農業経営が主流で、経営者側と労働組合との闘争が激しかったといいます。一次大戦後、特にこの地方でファシズム運動が激化し、社会主義に対する弾圧が強まったのも、農村部における組合の支配が強固だったからとの事。
アルフレードとオルモは、1901年の夏の同じ日に生まれたということで親友として成長しますが(長じてからは、ふざけて“双子だ”と言うことも)、属する階級が違うために、やがて宿命的な対立関係に追い込まれます。
そのような「カインとアベル」的な物語に加え、イタリアのポー平原の雄大な自然を背景に、まるで農村絵画のように美しい映像、ベルトルッチお得意のデカダンスやエログロ描写が満載で、上映時間316分という驚異的な長さにもかかわらず、飽きも疲れもせずにラストまで鑑賞することができました。
ちょうどティッタ・ルッフォの自伝を読んでいるところなのですが、彼もまたこの時代のファシズムの暴力に抗って犠牲を強いられた人なので、ファシスト党員による社会主義者の農民虐殺シーンは大変胸に迫りました。
一方、この《1900年》という映画は随所にオペラのモチーフ――有名なヴェルディのアリアなど――が織り込まれているため、「あ、これは!」と宝探しをする、そんな楽しみも大きかったです。
ベルトルッチは、一大叙事詩的なこの映画を「オペラ的な作品」であると語っているようです。元記事がわからないので何をもって「オペラ的」と言っているのかはわからないのですが、この映画は「歴史」を描いたものではなく「美」と「ファンタジー」であるとベルトルッチ自身が語っていることにヒントがありそうです。
そのファンタジー的側面を強調するのに、数々のオペラの断片を効果的に使っているというわけです。
主軸のストーリーは、道化姿の男の「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ!」という叫びと、続いて流れる《リゴレット》の陰鬱な前奏曲から始まります。
それ以外にも、ヴェルディや有名なイタリア・オペラのモチーフがあれこれ登場します。興味深いので、思いつく限り並べてみることにしました。
-----------------------------------------
・1901年のある晩。道化の衣装をつけた小男が「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ!」と叫び、酔いつぶれる。《リゴレット》の前奏曲が流れる。
・道化男はリゴレットと呼ばれている。小作人ダルコ一族の一人で、一次大戦が終わった頃には普通に農作業に従事しているが、オルモとアルフレードが生まれた時分は道化の衣装をつけ、大地主の言動に茶々を入れたり、ヤボ用を申し付かったりしている。
・跡継ぎの孫、アルフレードが生まれて喜んだベルリンギエリ(バート・ランカスター)は、氷室からシャンパンを取り出す。それを知った神父は《仮面舞踏会》のレナートのアリア、"Alla vita che t'arride (希望と喜びに満ちて)" を歌う。
・アルフレードの父ジョヴァンニ(ロモロ・ヴァリ)が食事中に「私もこんな田舎を飛び出して奔放な恋を楽しみたかった!」と嘆くと、書斎でそれを聞きつけた祖父が《イル・トロヴァトーレ》の“Il balen del suo sorriso(君がほほ笑み)”の一節を聞こえよがしに歌う。
・アルフレードの祖父のベルリンギエリが自殺をする。ジョヴァンニはベルリンギエリを病気と偽り、亡骸をベッドに寝かせて偽の遺言状を作らせる。明らかにプッチーニの《ジャンニ・スキッキ》だが、映画では幼いアルフレードが祖父の死に気付いて泣き叫ぶ悲惨なシーンとして描かれる。
・一次大戦後。小作人の監督として雇われた男の名前はアッティラ・メランキーニ(ドナルド・サザーランド)。後に残虐なファシスト党員となり、社会主義者の小作人たちを虐げる存在となる。ヴェルディの《アッティラ》題名役は、イタリアに攻め込んだフン族の王。
・アルフレードの従姉妹のレジーナ(ラウラ・ベッティ)は、アッティラを唆してベルリンギエリ家の財産を我がものにしようとたくらむ。後にアッティラの妻となるレジーナ、その名前の意味は「女王」である。アッティラと2人で殺した少年の霊に怯える姿は、ヴェルディのマクベス夫人の狂乱を想像させる。
・ファシスト党員となり、社会主義者の一掃を誓うアッティラは、猫を頭突きで殺してから“All'a~~~rmi~!!(武器をとれ!!)” と歌う。続いて党員たちの大合唱。ここはもう《イル・トロヴァトーレ》第3幕の“あの”シーンそのもの! メロディは違うが。
・アルフレードと美女アーダ(ドミニク・サンダ)の結婚披露宴で、招待客の一人ピオッピ夫人(アリダ・ヴァリ)が歌うのが"D'amor sull'ali rosee(恋はばら色の翼に乗って)" 。《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラのカヴァティーナ。
・夫がファシスト達の言いなりになっていることを悩むアーダは、真夜中にオルモの家を訪れて胸の内を明かす。その様子を外から眺めるアルフレード。暖炉の前でうたた寝をしていたオルモの母(アンナ・ヘンケル)が突然目覚め、髪を振り乱して不吉な未来を口走る。その姿はまるで《イル・トロヴァトーレ》のアズチェーナ。
・クリスマスの夜、居酒屋で酔い潰れているアーダの背後の壁には、《オテロ》第4幕のシーンの絵画が掛かっている。アーダを連れ戻しにきたアルフレードは、親友オルモとの仲を疑って彼女をなじる。
・アッティラ達ファシスト党員の農民虐殺シーン。豪雨の中で立たされている農民の中に、かつてのリゴレットのような道化の衣装をつけた少年がいる。少年がなぜそのような姿をしているのかは不明。
・夫を拒んで何年も部屋に閉じこもったアーダは、ある朝ついに屋敷を出ていく。アルフレードが妻の部屋に入ると、そこに立っていたのは妻の衣装を身に着けた小間使いの滑稽な姿。モーツァルト《フィガロの結婚》を連想させるシーン。
(他にもあったら教えてください)
-----------------------------------------
ヴェルディ作品が多いのは、やはりイタリアの国民的英雄だからでしょうか。
イタリア統一運動の象徴のような存在であったヴェルディの死によって新世紀が始まり、新たな思想による階級闘争の開始を告げるというのが大変興味深いです。
冒頭に流れる《リゴレット》の前奏曲はモンテローネ伯爵の呪いを表しています。
アルフレードの祖父であるベルリンギエリは、「呪いとは(性器が)立たなくなることだ」と呟き、牛舎で首をくくって自殺します。背中にこぶのある男にリゴレットの扮装をさせていたこの大地主の死は、放蕩の限りを尽くしたマントヴァ侯爵のなれの果てと言えるかもしれません。
アルフレードとオルモの周囲に《イル・トロヴァトーレ》の要素がちらほらしているのは、2人が同じ日に生まれた「身分違い」の「兄弟」のような関係だからでしょう。アルフレードがルーナ、オルモがマンリーコというところです。
が、三角関係の話はこの映画には出てきません。強いて言うなら、アルフレードとオルモが街に遊びに出かけた際の「3Pシーン」があるくらい。
アルフレードの妻アーダは、明らかにオルモを頼りにしており、一見三角関係に見えますが、アーダとオルモの間には恋愛感情はありません。アルフレードの嫉妬は(自分でも言っていますが)妄想であり、壁に掛かった《オテロ》の絵画はその象徴というわけです。
…そもそも、上記のような仕掛けがなくとも、この映画は全体的に“ヴェルディっぽい” 雰囲気が濃厚です。
ストーリーが陰鬱でドラマチックだからというのもあって、俳優たちの演技もとにかくオーバー。「モルタ!」「パッツォ!」「サングェ!」ともの凄い剣幕でまくしたて、キイキイワァワァわめき続けます。5時間ぶっ通しでとんでもないハイテンションなわけです。5時間といったら、ワーグナーの《神々の黄昏》よりも長いのですよ!?
そんなところひとつとっても、呆れるほどにイタオペな映画なわけです(笑)
--------------------------------------------------
なんと全編がYTに上がっております
Novecento [1900] - 1976 - Part 1 - Bernardo Bertolucci
Novecento [1900] - 1976 - Part 2 - Bernardo Bertolucci
タグ:映画とオペラ
2012-07-11 03:16
nice!(0)
コメント(8)
トラックバック(0)
youtubeも結構レアな映画やオペラの宝庫で、嬉しい限りですね。
ベルトルッチは以前から気になってたんですよ!頑張って見てみようかな・・・
ブログのリンク有難うございました!
こちらも、しまさんのリンク貼らせていただきますね。
by ふう (2012-07-11 23:54)
■ふうさん
ブログ、これからも楽しみにしています!
ヴェルディ仲間が少ないので、一致団結しなくては(笑)
ベルトルッチの作品は独特のクセがあるんで、ワケワカランな作品も少なくないんですけど(やたら長いし)、1900年はストーリーはわかりやすいし面白いと思います。ちょっと政治色が強いんでアレですけど・・。
機会があったらぜひご覧になってみてください。めっちゃヴェルディですよ♪
by しま (2012-07-14 01:18)
1900年DVDを買おうかなやんでます。。。
ちなみに色々な部分で怪しいところは修正なしですか?
by らら (2012-07-28 23:06)
■ららさん
こんばんは。
はい、ほぼ無修正です。
“ほぼ”と言うのは、さすがに「掴んでいる」部分だけはぼかしてありましたので。
by しま (2012-07-29 02:17)
ありがとうございます!
そうですか~
part1の小屋みたいなところでの男の子たちのシーンは修正されてますよね?
by らら (2012-07-29 11:02)
■ららさん
お返事遅くなりました。
ええと、普通に無修整ですよ。
by しま (2012-07-31 01:23)
いえいえ、お気になさらないでください!
超大作みたいなので私もチャレンジしてみます(笑)
by らら (2012-07-31 23:54)
■ららさん
おもしろいですよ。夏休みですし、ぜひご覧になってください。
by しま (2012-08-03 15:31)