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『青ひげ公の城』/バルトーク [オペラ録音・映像鑑賞記]

 西洋社会における近・現代の、それ以前の時代との違いを単純に言い表すとしたら、「人々の興味が外面世界から内面世界へシフトした」とでもなるのでしょうか。音楽という一ジャンルでもこの辺の意識の変革が明確に現れていて、二十世紀になると不協和音未使用の楽曲はほぼ皆無と言っていいくらいです。

 まこと、不協和音のもたらす曖昧さ、不安定さほど、混沌とした無意識の領域を表現するのに適した音はありません。
 オペラにおいても例外ではなく、この時代になると外面的なドラマよりも人の精神世界、意識の流れをダイレクトに描くような作品が多く見られますね。
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 ……などと、今更のような前置き(行かせぎ)をしてから、バルトークの『青ひげ公の城』。

 人の内面を描くといっても抽象絵画のようにはいきませんので、ドラマを成立させるべく必要最小限の登場人物2名を置く。当然、男女(コレ基本)。

 愛を盾にすべてを知ろうとする女の傲慢さ。三人の妻を惨殺したと噂される男は、しかし、美しき獣の顎にいままさに噛み砕かれんとする仔羊のように脆く、哀れな存在にも思えます。

 男女の間に神聖な愛などあり得ない。受容や調和も存在しない。
 猟奇的な官能のみが横たわる。

 この作品での不協和音はさほどドギツくはありません。時にハッとするほど美しいハーモニーを聴かせるけれども、目を閉じて身を任せたとたんに裏切られる。支え手は歪み、地軸もあらぬ方向に傾いて、頭がくらくらしてきます。

 蛇が顎の関節をはずして獲物を丸呑みするかのように、誰かを愛し、所有したい。
 潜在意識の底の底から怪しい願望を掘り起こされてしまったのには、青ひげを歌うラースロー・ポルガールが、抑えてはいるが肉感的な声をしていて、“雄”としての危うさの漂う歌唱をくりひろげているからでしょうか。

 こ、これは、わが愛しのエルネスト・ブランクにぴったりな役ではっ!? などと大騒ぎしまくった果てに調べてみたら、ホントに歌ってらしたのでした

 ポルガールの歌唱もブランク先生を彷彿とさせます。あんなに“デレカント”ではありませんが、発声のしかたがよく似ています。特に低音域に輝きがある(高音は……ちょっとミルンズ入っていますが)。

 CDの解説によると、通常、青ひげのパートはずっしりしたバスが歌うのだそうです。が、ブランク先生精力的な中に脆さの潜むバリトンによって歌われる青ひげも、ゾクゾクさせられて素敵です。

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『青ひげ公の城』/ベラ・バルトーク

指揮:ピエール・プーレーズ, シカゴ交響楽団

青ひげ公: ラースロー・ポルガール(br)
ユディット: ジェシー・ノーマン(Ms)
プロローグ: ニコラス・サイモン

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