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『ねじの回転』/ブリテン 其の2 [オペラ録音・映像鑑賞記]

 さて、無邪気さゆえの子どもの残酷性・罪性はしばしば文学的テーマ等に好んで取り上げられらるところであります。

 罪であるとの判定は、当然、大人社会の道徳観念によってなされます。
 キリスト教社会においては人は生まれながらにして罪人(不完全な存在)であり、キリストを模範とした清い生活習慣を身につけることによって、あるいは神の御寵をひたすら請い願うことによって、罪の赦された者(完全な人)になるのが、人生の大きな目的の一つ。
 道徳の観念が定着していない子どもは、人としての歩みを未だ踏み出していない、いわば“獣”に近い状態でしょうか。

 もちろん現代ではそのような概念は廃れています。

 たとえばワタシの友人は、ネットの育児日記などで、自身の子どもを「小さい人」と呼んでいる。彼女らしいユーモアですが、なるほど、「体が小さいというだけで権利や存在の貴さは大人のそれと何ら変わりはしないのだ」という現代らしい通念をよく言い表しているなと、しばしば感心させられるわけです。

 ワタシとしたことが、また怪しげなテンションでもって語ってしまいますが、ワタシ自身も基本的に、子どもは人として“完全な”存在として生を受けると思っている。そしてこの場合の“完全”というのは“無垢”とは全く違うんですね。

 岡本太郎的な言い方をすれば、“全き人間”として生きていくのに必要な条件の全て満たされた状態、とでもなるのかな。

 そして成長に従って我々は、生まれながらに備わった真の人間性を失っていく、いや、奪われていく。そんなふうに考えています。
 幼少時代というのは、人がその完全性を失って大人という不完全な生き物へ“退行”してゆく瀬戸際であると言えるでしょう。

 で、また『ねじの回転』に戻るわけですけれども、この若い女家庭教師と少年マイルズの物語は、このCDを聴いた限りの印象ですが、あるがままで完全な存在である子どもを歪んだ鋳型にはめ込もうとする大人と、それに抵抗する少年との、静かだが壮絶な闘いを描いているように思えてならない。

 時の流れを止めない限り、子どもは必ず大人になる。(特に、少年好きなブリテンにとって)悲劇的なその定めが、ボーイソプラノのはかなさに表れているのではないかと思います。

「ピーター・クイント、お前は悪魔だ!」

 そう叫んだ瞬間、マイルズの少年時代は終わりを告げます。マイルズを悪から救おうとしていた女家庭教師はつかのまの勝利に酔い、幽霊ピーター・クイントは悲しそうに少年に別れを告げつつ姿を消します。この時、対局の立場にあるはずの二人が、真逆の言葉を同じ旋律で歌うのが象徴的です。

 マイルズの人としての本性を殺したのは女家庭教師その人であり、それを悟った彼女は、かつて少年の口ずさんだ奇妙な歌を繰り返しながら小さな亡骸をかき抱くのです。

 ヘンリー・ジェイムズによる原作は、しばしばフロイト的な「抑圧された性」の暗喩として解釈されるようで、おそらくブリテンもそれを承知で曲を付けたのだと思いますが、楽曲そのものの雰囲気には性的な要素は感じられません(感じられても大変困るが)。

 特に最後のシーンの音楽は、静寂のなか、女家庭教師と少年双方の凛とした意志が対峙しているかのようで、畏敬の念が胸に満ちます。

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『ねじの回転』 ベンジャミン・ブリテン

指揮:ベンジャミン・ブリテン
イギリス・オペラ・グループ管弦楽団

語り:ピーター・ピアーズ
女家庭教師:ジェニファー・ヴィヴィアン
マイルズ:デイヴィッド・ヘミングス
フローラ:オリーヴ・ダイアー
グロス夫人:ジョーン・クロス
ジェスル嬢:アルダ・マンディキアン
ピーター・クイント:ピーター・ピアーズ

『ねじの回転』/ブリテン 其の1 [オペラ録音・映像鑑賞記]

 ソプラノとテノールだけのオペラなんて
「かぁァァ…ペッ(*゚д゚) 、」
 ってな筈なんですが、『ねじの回転』はまぎれもなく、二十世紀オペラの最高傑作の一つじゃないかと思ってしまう。歌手の好き・嫌いなど関係なしにハマるのだから、管理人は真性の“ブリテン体質”なのかもしれません。

 バリトンやバスといった“重石”が無いので、楽曲の重心は高く不安定。『ピーター・グライムズ』で聴かせた雄大なうねりはこの曲にはなく、かわりに青ざめた月光のような透明感と硬さがあります。
 過度にホラー的、情緒的でないところが、かえってウ゛ィクトリア朝時代の幽霊話の雰囲気をよく表していると思います。

 などと当たり障りのない感想を述べてから、本題の「ブリテン少年考」に移るわけです。

 ワタシが聴いているCDはピアーズが語りと幽霊を歌っている、1954年のブリテン自作自演盤です。この録音で少年マイルズ役を歌っているボーイソプラノが、張り倒したくなるくらい上手で、いい仕事をしているんです。幽霊のクイントの呼びかけに「I'm here~~」と応えるところなんて、語尾部分のグリッサンドをいっちょまえにやらかしたりして、ですね。

 子どもの歌唱を効果的に使うオペラはたまに見られますけれども、『ねじの回転』みたいに子役を重要な位置に据えて出ずっぱりに歌わせる作品は珍しいのではないでしょうか。
 少なくとも、ワタシの乏しいオペラ鑑賞経験ではそうなのでして、それだけでも特異なのに、ボーイソプラノの妹役を大人のソプラノが歌う(こともある)という気味の悪さ!

 横隔膜の発達した大人たちの声にまじってボーイソプラノの頼りなげな歌声が聞こえてくる。これが作品全体の異様な雰囲気を高めるのと同時に、ブリテンの“少年”に対する怪しい思い入れ、更にはこのオペラに封じ込めたテーマを物語っているように思うのです。

 ちなみに、このCDでフローラを演じるオリーヴ・ダイアーについては詳細不明。大人の声のようにも聴こえるし……、まぁどっちでもよろし。女の子の声なんて大人になってもたいして変わりはしませんし。
 ですが、男の子は劇的に変化します。いやホント、ボリス・クリストフのヘラヘラしたバス声などを聴いていますと、このオッサンにも「天使の歌声」を出せた年頃があったのか疑わしくなってきますよ……。
 その点でボーイソプラノは滅びゆく美の象徴であると言えます。

 そして更に、ブリテンお得意のテーマであるところの「無垢という罪」に話が及ぶわけですが、となると「誰(何)がマイルズを殺したのか」という命題に迫らなくてはならない。携帯電話でちまちま書いていると親指がツッてしまうので、続きは後日といたします。

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