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コソットの“おやじ”カルメン with グロソップ/San Carlo 1969年 [オペラ録音・映像鑑賞記]

pglossop.jpg 軽薄で浮気性なバリトン・フェチのワタクシ。目下のお気に入りはピーター・グロソップ様。
 ブランク先生やアレンを押しのけ、いまやケッコンしたい男No.1にまでのし上っております。

 その“絶倫”歌唱はやはりヴェルディが似合うんですが、ベルリオーズとかビゼーとか、フランスものもやってます。《カルメン》のエスカミーリョ役を見つけた時は、「グロ様の色男ぶりを堪能できる!」と狂喜乱舞してしまいました。しかも映像なんですよ~。

《カルメン》は特に好きなオペラでもないのですが、エスカミーリョいうたらワタシがブランク先生に“一耳惚れ”した記念すべきお役ですから、追っかけ旅行の準備の最中、怪しいサイトにさっそく注文をかけました。
「1969年のSan Carloでのライヴ収録」だそうです。グロ様は御年41歳の男盛り。歌手としても最盛期の、まさに夢のような映像じゃございませんの? イヤ~ン(*´Д`)

 ……などとヨダレを拭きながら鑑賞してみたところ、なかなかどうして、イヤ~ンどころか

ネタ

 としてもお宝でしたので、いっちょうご紹介しておくことにします。

 ちなみにイタリア語ヴァージョン(もち、レチタティーヴォ版)です。
 グロソップの現役当時の活動についてはイマイチよくわからないのですが、イギリス人だてらに(?)イタリアくんだりでも(←おい)よく歌っていたようです。

 このサン・カルロ劇場での《カルメン》も、グロ様以外の主要キャストはイタリア勢みたいです。(フィオレンツァ・コソットぐらいしかわからないので、名前で国籍を判別)。

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ジョナサン・ミラー演出《コジ・ファン・トゥッテ》/Royal Opera House [アレンの実演鑑賞記]

 アレン追っかけ旅行から帰ってきて早2週間経ちました。ようやく落ち着いてきましたので、忘れないうちに《コジ・ファン・トゥッテ》の舞台について、感じたことをまとめておくことにしましょう。

 と言っても、意識の99%はアレン(の挙動)にフォーカスしておりまして(*1)、残りの0.7%でミラーの演出を、0.3%でデイヴィスの指揮と他の歌手の歌唱をチェックしたという体たらくです。“絵”があると音楽なんて聴けなくなりますしネ。
 おまけに、ワタシが観たのは7/17、7/20の回ですが、どちらがどうだったとか細かい記憶もゴッチャゴチャ。かなり大雑把な感想になってしまいますがご了承クダサイ。

(あらすじは、まぁウィキペディアのこちらなどを。すんまへん、面倒だもんで)

200707cosi1.jpg アレンの追っかけは置いといて、今回のROH《コジ》鑑賞のいちばんの目的はジョナサン・ミラーによる演出の妙技を堪能することでした。

 以前の記事でちょっと触れたことがありましたけれども、ワタシは「現代読み替え演出」があまり好きではありません。大抵は舞台上で行われていることが歌詞やテーマにそぐわなくなり、シラケます。そもそも歌唱あってのオペラなのに、奇抜な演出に頼るとはケシカラン。歌手はテキトーに突っ立って歌ってりゃいいのヨ!! という、音楽偏重主義者的なオペラ愛好家なのです。
 ん~基本的に、普段はCDしか聴いておりませんのでネ……(^^;

 そんな頑固なワタシに、「いやいや、オペラの楽しみは音だけじゃないよ?」と教えてくださったのが、ブログを始めて知り合った同好の方々。そして、6月の新国立劇場《ファルスタッフ》なのです。
 こちらの演出は「現代読み替え」ではありませんでしたが、スタイリッシュな感性はやはり現代的。視覚的に訴えるものでありながら音楽とも大変マッチしていましたし、古いオペラにありがちな矛盾したプロットを適度に補正して、現代人の合理的な感性に耐えうる作品に仕上げていたと思います。

 人物の動きも細かいながら、歌唱を妨げるほどではありません(演じるほうは大変でしょうが)。なるほど、ジョナサン・ミラーという人は、オペラをよく理解して愛している演出家なのだなと、一気に好感度大・興味津々となったわけです。

 で、ROHの《コジ》なんですけれども、まさに「良質の演出とパフォーマンスの勝利」といったところ。「《コジ》は地味でつまんない」と思っていたワタシを普通に笑わせ、それぞれのシーンの旋律における作曲者モーツァルトの「意図」をしっかり引き出しているんですね。もしくは、モーツァルトはそこまで考えていなかったかもしれませんが、200年後の私たちの笑いの感性を普通に受け入れることのできる懐の深さ、モーツァルトの職人芸が、ミラーの演出によって表出したということでしょう。

 ダ・ポンテによるスカスカな台本も、ミラーの演出なら納得です。
 舞台はナポリというだけで、フィオルディリージとドラベッラの姉妹がどういう家柄のお嬢さんなのかは全く不明。どこの馬の骨ともわからない怪しい男どもと結婚式まで挙げるというに、父親の姿はどこにも見えず。
 代わりに自称哲学者のドン・アルフォンソがやけに馴れ馴れしく姉妹の家を出入りしていますが(食客なんですかねぇ?)、このジジイと姉妹の関係も不明。姉妹と婚約している青年、フェランドとグリエルモとなぜ親しくしているかも不明。

 単に若い男女にスワッピングをさせたかっただけなのがミエミエな設定ですが、これぞ「シチュエーション・コメディ」の基本的な骨格なのです。

 シット・コムは設定自体がドラマですから、ストーリーなんてハナクソみたいなモン。勝負の要はキャラクターです(`・ω・´) シャキーン

 このキャラクター(特に若い男女4人)の描き分け/歌い分けが上手くいっている舞台や録音になかなかめぐり合えなかったのですが、ミラーの演出はその部分にもかなり意識的であった模様。自分が気になる部分をしっかり押さえてくれるアーティストは、それだけでファンになってしまいます。
 簡素な舞台美術も、「これはドラマじゃねーのよ、シット・コムなのよ。キャラの魅力で勝負だヨ」というミラーの自信の表れでしょう(たぶん)。ワタシにとっては大変好感の持てるものでした。

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