ピーター・グロソップ (Peter Glossop) が亡くなりました/2008年9月7日 [オペラの話題]
自分がファンをやっている歌手の訃報を、自分のファン・ブログに書かねばならぬことほど残念なことはありません。
イギリス人の往年のヴェルディ・バリトン、“グロ様”こと、ピーター・グロソップが9月7日に亡くなりました。享年80歳。咽頭ガンだったそうです。
病名を聞くと、同世代のヴェルディ・バリトン、エットーレ・バスティアニーニを思い出します。
グロ様とバスティアニーニの間には直接の繋がりはありませんが、グロ様がスカラ座デビューを果たしたのと同じプロダクションで、かつてバスティアニーニもリゴレットを歌ったことがあったと、自伝で嬉しそうに語られていました。
*2012,03,01追記 バスティアニーニは1922年生まれで、グロソップより6才年上。喉頭ガンと診断されたのは'62年頃のようで、グロソップがようやく世界に活動の場を広げ始めた時、バスティアニーニは次第に舞台での活動から退いていったわけですね。
かつてバスティアニーニの命を奪った病名を知った時には、「なんという悲劇だろう」とショックを受けたものでした。まさかグロ様も同じ病魔に侵されていたとは思ってもみませんでした。(まぁグロ様が発病したのはオペラ界を退いたずっとずっと後なのですが)
とても残念なことです。
命日となった9月7日――時差がありますから、日本時間では9月8日だったかもしれませんが――アレンの《ジャンニ・スキッキ》のことで頭がいっぱいだったにもかかわらず、突然グロ様の自伝のことが思い出された瞬間がありました。
会ったことも当然なければ舞台を観たことすらない相手なのに、ヘンですね。けれどもなぜかその時、「引退したずっと後になってから、極東の片隅でこんなにアナタの歌唱に魅了されているファンがいますよということを、グロ様に伝えてあげられたらなぁ……」と思ったものでした。
こういうのを「虫の知らせ」と言うのでしょうか。まぁ、「たまたま」だとは思うのですが、時にスピリチュアルなものの見方も好む私。純粋なファン心が引き寄せたシンクロニシティであるとして、慰めを得ることにしましょう。
Opera Chicさんの記事には、サー・ジェレイント・エヴァンスとの親交など、自伝には語られていなかったエピソードもあります。病気のことも(当然ながら)自伝ではわからなかったことです。
最初の妻のジョイス・ブラックハムがグロ様の近所に移り住んだのは、グロ様の病気が明らかになった頃のようで、やはり彼女がグロ様のお世話をしていたようですね。
オペラ界を引退後のグロ様の孤独な生活は、自伝を読んだだけでも胸がしめつけられるようでしたが、ジョイスの存在が本当に救いです。きっとジョイスに看取られて天に召されたのだと思います。自伝を著した頃には離れ離れになっていた二人の娘にも再会できたであろうことを祈ります。(←9/13追記。再会できていたようで、二人のお嬢さんは頻繁にグロ様のもとを訪れていたとか。本当によかったです)
今夜の追悼BGM。何を聴こうかと迷ったのですが、初めてグロ様の声と出会った《ビリー・バッド》@ブリテン自作自演盤を選びました。
この人の声に出会ったのはたった1年前なのですね――。
伸びやかで明るく、力強い歌唱です。
好きなバリトン歌手ならほかにも何人もいますけれども、私にとって「最もバリトンらしい」と感じられる理想の声はこの人のものだと思っています。
イギリス人の往年のヴェルディ・バリトン、“グロ様”こと、ピーター・グロソップが9月7日に亡くなりました。享年80歳。咽頭ガンだったそうです。
病名を聞くと、同世代のヴェルディ・バリトン、エットーレ・バスティアニーニを思い出します。
グロ様とバスティアニーニの間には直接の繋がりはありませんが、グロ様がスカラ座デビューを果たしたのと同じプロダクションで、かつてバスティアニーニもリゴレットを歌ったことがあったと、自伝で嬉しそうに語られていました。
*2012,03,01追記 バスティアニーニは1922年生まれで、グロソップより6才年上。喉頭ガンと診断されたのは'62年頃のようで、グロソップがようやく世界に活動の場を広げ始めた時、バスティアニーニは次第に舞台での活動から退いていったわけですね。
かつてバスティアニーニの命を奪った病名を知った時には、「なんという悲劇だろう」とショックを受けたものでした。まさかグロ様も同じ病魔に侵されていたとは思ってもみませんでした。(まぁグロ様が発病したのはオペラ界を退いたずっとずっと後なのですが)
とても残念なことです。
命日となった9月7日――時差がありますから、日本時間では9月8日だったかもしれませんが――アレンの《ジャンニ・スキッキ》のことで頭がいっぱいだったにもかかわらず、突然グロ様の自伝のことが思い出された瞬間がありました。
会ったことも当然なければ舞台を観たことすらない相手なのに、ヘンですね。けれどもなぜかその時、「引退したずっと後になってから、極東の片隅でこんなにアナタの歌唱に魅了されているファンがいますよということを、グロ様に伝えてあげられたらなぁ……」と思ったものでした。
こういうのを「虫の知らせ」と言うのでしょうか。まぁ、「たまたま」だとは思うのですが、時にスピリチュアルなものの見方も好む私。純粋なファン心が引き寄せたシンクロニシティであるとして、慰めを得ることにしましょう。
Opera Chicさんの記事には、サー・ジェレイント・エヴァンスとの親交など、自伝には語られていなかったエピソードもあります。病気のことも(当然ながら)自伝ではわからなかったことです。
最初の妻のジョイス・ブラックハムがグロ様の近所に移り住んだのは、グロ様の病気が明らかになった頃のようで、やはり彼女がグロ様のお世話をしていたようですね。
オペラ界を引退後のグロ様の孤独な生活は、自伝を読んだだけでも胸がしめつけられるようでしたが、ジョイスの存在が本当に救いです。きっとジョイスに看取られて天に召されたのだと思います。自伝を著した頃には離れ離れになっていた二人の娘にも再会できたであろうことを祈ります。(←9/13追記。再会できていたようで、二人のお嬢さんは頻繁にグロ様のもとを訪れていたとか。本当によかったです)
今夜の追悼BGM。何を聴こうかと迷ったのですが、初めてグロ様の声と出会った《ビリー・バッド》@ブリテン自作自演盤を選びました。
この人の声に出会ったのはたった1年前なのですね――。
伸びやかで明るく、力強い歌唱です。
好きなバリトン歌手ならほかにも何人もいますけれども、私にとって「最もバリトンらしい」と感じられる理想の声はこの人のものだと思っています。