SSブログ

バリトン愛好家の偏愛あるいは私は如何にして敬遠するのをやめてバスティアニーニを愛するようになったか [オペラ録音・映像鑑賞記]

bastianini.jpg 「ヴェルディが好きなのに、どうしてエットレ・バスティアニーニを敬遠するんですか?」と、mixiのオペラ仲間に突っ込まれました。

「だってヴェルディ・バリトンなら既にピーター・グロソップのファンですし。3人もご贔屓バリトンを抱えているからコレクションや調べモノで忙しくて、“兄ぃニ”どころじゃないんですよ」とごまかしておいたのですが、う~ん、イタイところを突かれました。

 敬遠していたのは本当です。

 嫌いだったわけじゃないんですが、なんというか、カッコ良すぎでね。ええお顔もそうなんですけど、なんというか歌唱がね。表現力が豊かすぎて、私の愛するヴェルディの単純でバカバカしい雰囲気(←賞賛してます)が大いに損なわれてしまうので。

 ロドリーゴとか、ダメなんですよ~カッコ良すぎて。死のシーンで大ウケしたいのに、あれじゃ笑えないじゃないですか、カッコ良すぎて。
 基本、私のオペラ鑑賞の視点がこんな程度なので。本当に申し訳ありません。

 そんなわけで、畏れ多くも苦手意識を持っていたバスティアニーニの歌唱の中で、初めて「これはエエ!!」と飛びついたのはヴェルディなんかじゃ全然なくて、彼の表現力の存分に発揮されたプッチーニの《外套》だったのでした。

 このミケーレには泣いた。泣いたよ~!!
 '54年の録音だからバスティアニーニはまだ30代。なのに初老の男の悲哀と絶望をこんなにも激しく表現するなんて。
 やっぱり巷の評判どおり、バリトンのキングなんだなぁ~と納得。

 なら、プッチーニで聴けばいいのかしらんと、いそいそと《ボエーム》なんぞに手を出してみたのですが、ん~やっぱりアカン。マルチェッロにしては声が(やっぱり)カッコ良すぎて、私のイメージとは違います。

 そもそも“イメージ違い”を楽しむなら既にエルネスト・ブラン御大がおられますし、私のバスティアニーニとの格闘はここでいったん小休止。

 それから数年後の今、再度挑戦するに至ったのは、敬愛するピーター・グロソップのコレクションが一段落ついたからです。

続きを読む


トーマス・アレンのドン・ジョヴァンニ -- '88 ロイヤル・オペラ [アレンのドン・ジョヴァンニ]

don88-1.jpg 声よし、歌よし、姿よし。
 世に数多く出回っているトーマス・アレンのドン・ジョヴァンニ。映像モノで今のところ私が最も気に入っているのは、'88年ロイヤル・オペラ・ハウスのものです。

 ヒゲ面で歌唱も荒々しく、二枚目というのとは違いますが、健康的な色気を放つ生き生きとしたジョヴァンニです。

 何かのインタビューで「300回以上演った」とか何とか仰っているのを目にしたことがあります。さぞかしいろんな演出でいろんなタイプのドンを歌ったんでしょうけれども、残された映像では声も最盛期を過ぎていますし、容色も衰えて吸血鬼みたいになっちゃったり・・。

 おまけにアレンのドンの解釈も、思い入れが強すぎるのか、他の役に比べるとぎこちないというか破綻しているというか、後年はあまり役作りに成功しているとは思えない。

 なので、生身の人間アレンが滲み出ている'88年ROHのドン映像は、普通に「ステキ~(*´Д`)!!」とのめり込めます。

  人間らしい味のある、“普通の”悪人ドン・ジョヴァンニ。例えばアーヴィン・シュロットとか昨今の二枚目セクシーとはほど遠いけど、オッサンらしいアクの強さとカッコ良さにあふれた、これぞ最盛期のアレンのドンです。

 相手役(?)のドンナ・エルヴィーラがキリ・テ・カナワであるのも嬉しい。

 テ・カナワの繊細かつ金属的な声の響きが役柄にぴったりですし、なにしろこの方もアレンに負けず劣らずのsinging actress!!
 おかげで、動きの少ない他の歌手にまじって、妙に浮きがちなアレンのオーバーアクションが、この舞台ではほどよく中和されています。

 上の画像をクリックすると、YouTubeに飛びます。ドンのエルヴィーラとの絡み、Ah, fuggi il traditor! から Non ti fidar, o misera にかけてのシーンですが、アレンとテ・カナワのまるで夫婦喧嘩をしているような息の合った演技が見もの。

 ってゆーか、ドン様、エルヴィーラが現れたとたんに「ぐぁ~ッ!!」って。そこまで嫌がらなくてもいいのにね(笑)

続きを読む


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。