[ドンジョ映画化につき再掲]アレンの“愛弟子”!? -- 勇者マルトマンのインタビュー [オペラの話題]
※’12/3/19追記。
インタビューの後半でちょっとだけご紹介した“ドンジョ映画化”の件、実現しました。(⇒公式サイト)
書いた私は忘れていた気付いていなかったのですが、教えてくださったgalahadさんが鑑賞記事をアップされましたので、リンクさせていただきます。⇒映画 JUAN:In fernem Land unnahbar euren Schritten....
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2008-10-18
ヴィノ君のヒゲ剃りクリームであやしく盛り上がっているROHの《ラ・ボエーム》。真相は、マルチェッロ役のクリストファー・マルトマンの気が効かなかったってことでOK?
そのマルトマンのインタビューがMusicalCriticism.comに出ています。長いので、オイシイ部分だけご紹介。
まず《ラ・ボエーム》のマルチェッロについてですが、彼が初めてプロとしてMid-Wales Operaに出演した時に歌った役なのだそうで、それなりに思い入れもあるみたいですね。今回ROHのこのプロダクションでマルチェッロを歌うことは「ちょっとした心の休日」なんて言っています。
かと言って、気を抜いているというわけではなく(弟分のクリームを拭うのは忘れたようですがw)、「どんな役であってもないがしろにはしたくない。可能な限りその役を理解して演じることが僕の仕事です」と言い添えたりなんかしているところ。歌唱からうかがえる“生真面目さ”が言葉の端々からもにじみ出ている感じがします。
さて、マルトマンは今年の夏のザルツブルク音楽祭の《ドン・ジョヴァンニ》でタイトルロールを務めたばかり。
「エーベルハルト・ヴェヒター、ティト・ゴッビ、シエピとか、伝説の歌手たちの後に僕が続くのかと思うと、肩にずっしりと責任がのしかかったみたいで……『神様、僕なんかでいいんでしょうか』という思いと『やったぁ!! スバラシイ!!』という思いが半々で……」
なんて、またもや真面目な好青年ぶりのうかがえるお言葉(笑)
ですが、謙虚なだけでなく、自分のシゴトの方向性にかなり意識的で誇りを持っているのだろうと思わせる発言もあるのです。例えば今年2月にサイモン・キーンリーサイドとダブルキャストだった《魔笛》のパパゲーノについては、こんな感じ。
「音楽の水準が保たれるというのであれば、フィジカルな面が要求されるような演技・演出もアリだと思います。僕にとってオペラとは、歌を聴かせるだけで、美術や衣装は付けたしってもんじゃないんです。演奏者側にとっても観客側にとっても、これぞ最高のオペラだ!!と思えるのは、音楽やヴィジュアルやドラマ全ての芸術が融合されたもの。それらの要素をいっしょくたにして放り投げて、パァッ!!ときらめく。そうやってオペラにドラマ性とリアリズムをもたらすんです」
そしてここで、インタビュアーがナイス質問。
実はマルトマン、2007年6月に、ニューカッスルのセージ・ゲーツヘッドにて、我らがじーちゃんトーマス・アレン演出による《ドン・ジョヴァンニ》でタイトル・ロールを歌っているんですよね。
なんて勇者な…!!
と、私がマルトマンを応援しちゃう理由も、半分以上はこんなところにあったりします。
というのは、ここ日本での評判はともかくとして、じーちゃん本人は「オレ様こそがドン・ジョヴァンニの生まれ変わり」みたいなイタタな発言が多いですから、そんなじーちゃんのもとでドンジョを歌って演じるだなんて、さぞかしプレッシャー……というか、ぶっちゃけウザかったろうなぁと想像に難くないわけで。
しかし、そこは“大人”なマルトマン。
「トムには確かに特別なものを感じました。イギリス人の“ドン・ジョヴァンニ”だからってことではないですけど、彼には僕が歌手として尊敬している全ての特質があるんです。歌唱力や演技力だけじゃなくて、鋭敏な知性もそうですし、ステージで歌うことだけに満足せずに役柄になりきろうとする渇望などです。その役に没入して、命を吹き込もうとするんですね。僕も彼も演劇という伝統を有するこの国の人間なので、より演技の面に意識が向きやすいし、音楽の伝統もきちんと受け継がれているんじゃないかと思います」
ちゃんと“師匠”(*1)を立ててくれていますネ。ありがとーマルトマン。いい子だネ(*´∨`)
ちなみに、アレン演出の《ドン・ジョヴァンニ》がどんな舞台だったのか。ソースはネット上にちょこちょこあるので、こちらも暇をみつけてブログにまとめる予定です。(“愛弟子”マルトマンとのカンドー的なエピソードもあるのヨ)
さて、マルトマンの今後の予定は、ROHでは《ラ・ボエーム》と《利口な女狐の物語》、Metでの《魔笛》、ケルンで《ドン・ジョヴァンニ》など。
なんだかドンジョづいてますね。
私はマルトマンのドンジョって、なんだかピンとこないんですが。ザルツでのドンジョの写真を見ますと、演出のせいかもしれませんが、いわゆるカッコよくてセクシーなジョヴァンニとは違いそうだし。
歌唱かなぁ~? でも歌唱も、特にそれらしい特徴が見出せないんだけどなぁ~、今のところは。
でも、ザルツブルク音楽祭でも歌ったわけですし、なんとドンジョの映画化の話もあるんだそうですから、ドンジョ歌いとして評価され始めているのかもしれません。
いいなぁ~。“師匠”のアレンだって、ドンジョの映画は無いですよ。というか、映像でも録音でも、正規盤ではアレンの最高のジョヴァンニってのは残っていないんじゃないかしら。
そういう意味では、“愛弟子”マルトマンがドンジョ歌いとして名を馳せてくれて、それを追っかけたりしたら楽しいだろうなって気もするのですけど。でも愛って意図的に芽生えるものではないですし、そもそも代償とするにはちょっとタイプが違いすぎるし。しばらくは、「アレンと縁のあるバリトン君」として、気にかけておくくらいにしようかな;;;
(*1)アレンとマルトマンが実際に師弟関係にあるわけではありません。
インタビューの後半でちょっとだけご紹介した“ドンジョ映画化”の件、実現しました。(⇒公式サイト)
書いた私は
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2008-10-18
ヴィノ君のヒゲ剃りクリームであやしく盛り上がっているROHの《ラ・ボエーム》。真相は、マルチェッロ役のクリストファー・マルトマンの気が効かなかったってことでOK?
そのマルトマンのインタビューがMusicalCriticism.comに出ています。長いので、オイシイ部分だけご紹介。
まず《ラ・ボエーム》のマルチェッロについてですが、彼が初めてプロとしてMid-Wales Operaに出演した時に歌った役なのだそうで、それなりに思い入れもあるみたいですね。今回ROHのこのプロダクションでマルチェッロを歌うことは「ちょっとした心の休日」なんて言っています。
かと言って、気を抜いているというわけではなく(弟分のクリームを拭うのは忘れたようですがw)、「どんな役であってもないがしろにはしたくない。可能な限りその役を理解して演じることが僕の仕事です」と言い添えたりなんかしているところ。歌唱からうかがえる“生真面目さ”が言葉の端々からもにじみ出ている感じがします。
さて、マルトマンは今年の夏のザルツブルク音楽祭の《ドン・ジョヴァンニ》でタイトルロールを務めたばかり。
「エーベルハルト・ヴェヒター、ティト・ゴッビ、シエピとか、伝説の歌手たちの後に僕が続くのかと思うと、肩にずっしりと責任がのしかかったみたいで……『神様、僕なんかでいいんでしょうか』という思いと『やったぁ!! スバラシイ!!』という思いが半々で……」
なんて、またもや真面目な好青年ぶりのうかがえるお言葉(笑)
ですが、謙虚なだけでなく、自分のシゴトの方向性にかなり意識的で誇りを持っているのだろうと思わせる発言もあるのです。例えば今年2月にサイモン・キーンリーサイドとダブルキャストだった《魔笛》のパパゲーノについては、こんな感じ。
「音楽の水準が保たれるというのであれば、フィジカルな面が要求されるような演技・演出もアリだと思います。僕にとってオペラとは、歌を聴かせるだけで、美術や衣装は付けたしってもんじゃないんです。演奏者側にとっても観客側にとっても、これぞ最高のオペラだ!!と思えるのは、音楽やヴィジュアルやドラマ全ての芸術が融合されたもの。それらの要素をいっしょくたにして放り投げて、パァッ!!ときらめく。そうやってオペラにドラマ性とリアリズムをもたらすんです」
そしてここで、インタビュアーがナイス質問。
実はマルトマン、2007年6月に、ニューカッスルのセージ・ゲーツヘッドにて、我らがじーちゃんトーマス・アレン演出による《ドン・ジョヴァンニ》でタイトル・ロールを歌っているんですよね。
なんて勇者な…!!
と、私がマルトマンを応援しちゃう理由も、半分以上はこんなところにあったりします。
というのは、ここ日本での評判はともかくとして、じーちゃん本人は「オレ様こそがドン・ジョヴァンニの生まれ変わり」みたいなイタタな発言が多いですから、そんなじーちゃんのもとでドンジョを歌って演じるだなんて、さぞかしプレッシャー……というか、ぶっちゃけウザかったろうなぁと想像に難くないわけで。
しかし、そこは“大人”なマルトマン。
「トムには確かに特別なものを感じました。イギリス人の“ドン・ジョヴァンニ”だからってことではないですけど、彼には僕が歌手として尊敬している全ての特質があるんです。歌唱力や演技力だけじゃなくて、鋭敏な知性もそうですし、ステージで歌うことだけに満足せずに役柄になりきろうとする渇望などです。その役に没入して、命を吹き込もうとするんですね。僕も彼も演劇という伝統を有するこの国の人間なので、より演技の面に意識が向きやすいし、音楽の伝統もきちんと受け継がれているんじゃないかと思います」
ちゃんと“師匠”(*1)を立ててくれていますネ。ありがとーマルトマン。いい子だネ(*´∨`)
ちなみに、アレン演出の《ドン・ジョヴァンニ》がどんな舞台だったのか。ソースはネット上にちょこちょこあるので、こちらも暇をみつけてブログにまとめる予定です。(“愛弟子”マルトマンとのカンドー的なエピソードもあるのヨ)
さて、マルトマンの今後の予定は、ROHでは《ラ・ボエーム》と《利口な女狐の物語》、Metでの《魔笛》、ケルンで《ドン・ジョヴァンニ》など。
なんだかドンジョづいてますね。
私はマルトマンのドンジョって、なんだかピンとこないんですが。ザルツでのドンジョの写真を見ますと、演出のせいかもしれませんが、いわゆるカッコよくてセクシーなジョヴァンニとは違いそうだし。
歌唱かなぁ~? でも歌唱も、特にそれらしい特徴が見出せないんだけどなぁ~、今のところは。
でも、ザルツブルク音楽祭でも歌ったわけですし、なんとドンジョの映画化の話もあるんだそうですから、ドンジョ歌いとして評価され始めているのかもしれません。
いいなぁ~。“師匠”のアレンだって、ドンジョの映画は無いですよ。というか、映像でも録音でも、正規盤ではアレンの最高のジョヴァンニってのは残っていないんじゃないかしら。
そういう意味では、“愛弟子”マルトマンがドンジョ歌いとして名を馳せてくれて、それを追っかけたりしたら楽しいだろうなって気もするのですけど。でも愛って意図的に芽生えるものではないですし、そもそも代償とするにはちょっとタイプが違いすぎるし。しばらくは、「アレンと縁のあるバリトン君」として、気にかけておくくらいにしようかな;;;
(*1)アレンとマルトマンが実際に師弟関係にあるわけではありません。