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サー・トーマス、フィッシャー=ディスカウの思い出を語る [オペラの話題]

※5/25 アレンとフィッシャー=ディスカウ、イアン・ボストリッジの3ショット写真を追加しました。
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Alabera.jpg 5/18に亡くなったディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウの追悼番組がBBC Radio4 の“Last Word” で放送されました。

 その週に亡くなった有名人の思い出語りをするというもので、30分弱の番組内で毎回3~4人が取り上げられます。
 フィッシャー=ディスカウの名は今週のトップなのですが、サー・トーマス・アレンがスタジオに招かれ、ホストのマシュー・バニスターにフィッシャー=ディスカウについての思い出を語っています。

 clevelanderさんに教えていただきました。
 いつも本当にありがとうございます。

 BBCのIPlayerで聴けますので、ご興味のある方は是非どうぞ。⇒(こちら

 また、右上の画像をクリックすると、フィッシャー=ディスカウとリーザ・デラ・カーザの《アラベラ》が観られます。アレンの思い出話に登場する作品です。

 以下、アレンの語った内容を、「心の耳」を駆使してざっくりと意訳してみました。

 初めて聴いたフィッシャー=ディスカウのレコードは学生時代に買ったブラームスのアルバム。オペラに関する様々な指導を受けていた頃だった。その一つがドイツ・リートで、その時にフィッシャー=ディスカウのことも教えられた。その後の自分の歌唱を確立していく上で、とても影響を受けた。

 彼の最大の魅力は、汚れのない声、歌唱にあると思う。とても美しく自然だ。彼の録音はどれを聴いてもまがうことのない正確さがある。エレガントな声のトーンが特に発揮されているのは、おそらくシューベルトなんじゃないかと思う。もっと彼らしいと思うのは、ヴォルフの歌曲だ。

 64年か65年に、コヴェント・ガーデン(ROH)で《アラベラ》を観た。フィッシャー=ディスカウがマンドリカ、リーザ・デラ・カーザがアラベラ、指揮はショルティだった。劇場の最も天井に近い席から観て、(マンドリカは)なんて難しい役なんだろう、そしてフィッシャー=ディスカウはなんて易々とそれを歌ってのけるんだろうと、とても心を打たれた。

 後年、私がミュンヘンで歌い始めた時、劇場のボックスオフィスに、まるで『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーのような写真が掲げてあって、それがフィッシャー=ディスカウ(のマンドリカ)とデラ・カーザ(のアラベラ)だった。美しい二人の舞台は素晴らしかった。1幕が終わったら観客は拍手喝采。あの瞬間はまさに魔法がかかっていた。胸が高鳴る公演だった。

 フィッシャー=ディスカウと初めて会ったのは、ロイヤル・アルバート・ホールでの《戦争レクイエム》のコンサートで、初日のリハーサルが終わった朝のことだった。彼と会ったのは全くの偶然で、たまたま私はホールの中を歩いていたんだが、誰かの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。あのホールは円形なので、いきなりフィッシャー=ディスカウと出くわすという形になった。まるで小学生みたいにその場に立ちすくんでしまった。

 それから数年後に、ザルツブルクでまたフィッシャー=ディスカウと再会することになった。彼の75才の祝賀会だった。彼は自分の業績についてとても謙虚な態度で語っていたが、その業績とは実は計り知れないものだったんだ。彼は本当に計り知れない、歴史に残る偉大な人物だ」


 アレンが感激したというROHの《アラベラ》は、65年1月の公演のことのようです。
 ROHのデータベースは⇒こちら

 ちなみに、1988年のバイエルン国立歌劇場来日公演で《アラベラ》が日本で初上演されましたが、この時のマンドリカ役がトーマス・アレンでした。
 23年前のフィッシャー=ディスカウの歌唱に感動したことを思い出した、なんて瞬間もあったのではないかと思います。

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