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『薔薇の名前』のミニッツライナー [その他の話題]

nameoftherose1.jpg ショーン・コネリー主演、ジャン=ジャック・アノー監督による映画『薔薇の名前』(1986年)のミニッツライナーをやりました。

 ミニッツライナーとは、ケロヨンさん@oyasumi210z がなさっている映画の構造分析の方法で、映画の本編を1分ごとに止めて「だれが」「なにをした」かだけを1行ずつ書いていくというものです。(ご興味のある方はぜひケロヨンさんのブログをご覧になってください。⇒こちら

 120分の映画でしたら本編を120回ストップさせて内容を書き留めねばならないので大変ですが、これをやれば「今後一生その映画を観なくてもいいくらい理解が深まる」とのこと。興味があったのでやってみました。

 まずは1分毎の出来事をリストアップ。その後で、シーンを細かく区切ることによってより顕著に見えてきたテーマについて、思いつくままに書き連ねました。三幕構成の分け方やログラインのまとめ方は田中靖彦さんの『ハリウッドストーリーテリング』を参考にしています。

 ちなみに『薔薇の名前』を選んだのは、好きな作品だし、たまたま手元にソフトがあったからです(『エンゼルハート』も候補だった)。大昔に原作にも手を出しましたが3分の1ほど読んで挫折しました。なので、小難しい蘊蓄は一切なし。映画から読み取れることだけでまとめました。

 ブログテーマとは全く関係のない内容で恐縮ですが、他に長文を公開できる場所が無かったもので、この場を借りることにしました。
 頻繁にブログを管理できないので、コメント欄は閉じています。ご了承ください。

 では興味のある方だけ、続きをどうぞ↓↓↓

 ※ネタバレあります。かなり昔の映画ですが、念のため。

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マイケル・ジャクソン 《THIS IS IT》 [その他の話題]

thisisitposter.jpg 10/28(水)はアレンの《ジャンニ・スキッキ》最終日。追っかけでロンドンを訪れていた私は至福の時を過ごしていたわけですが、実はこの日は“King Of Pop”マイケル・ジャクソンの映画《THIS IS IT》の全世界同時公開日でもありました。
 (映画の公式サイトはこちら

 7月にロンドンのO2アリーナにて10公演を行う予定だったそうで、そのリハーサル記録を収めたドキュメンタリー映画です。
 ロンドン滞在中はそのようなことに思いを馳せることはありませんでしたが(なにしろアレンのことで頭がいっぱいでしたので)、帰路のフライトでは「ヨシ、帰ったらマイコーの映画だナ…」なんて心の準備を(一瞬だけ)してたりして。

 なにしろ12歳の頃からの隠れ(?)MJファンの友人と、旅行前からこの映画に行くことを約束していたものですから。本日さっそく観てきました。 

 私は特にマイケル・ジャクソンのファンというわけではありませんが、子どもの頃にTVで“スリラー”のクリップを見た時の衝撃と興奮はおぼろげながら覚えています。
 ’87年のBADツアーでの来日公演での彼は最高にカッコよく、ビデオに録画して何度も見ました。
 ムーンウォークがめちゃくちゃ流行って、学校でもみんな真似していましたっけ。

 その頃からマイケルについては、顔の整形をはじめとしたおかしな噂やスキャンダルが世界を駆け巡っていたと思いますが、それはそれとして、私たちが彼の音楽とパフォーマンスに魅了され、熱狂していたのはまぎれもない事実です。

 映画に興味はあったものの、二週間の限定公開ということで、正直、一人では面倒くさくて劇場には足を運ばなかったかもしれません。たまたま友人が誘ってくれたので、有楽町マリオンの指定席まで取ってもらって、なかなかに良い席で観ることができました。行って良かったと、心から思います。

 私の青春時代に全世界を席捲した、一人の非凡な才能の死。
 自分の人生も既に折り返し地点を過ぎたのだと、その事実を、穏やかに淡々と、認識するに至ったような気がしています。

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ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 [その他の話題]

naru.jpg ナルニア国物語は、子どもの頃に母に全巻読み聞かせてもらって以来のファンであります。今でもたまに読み返してます。(そのワリには、映画化第1作の『ライオンと魔女』の感想はブログに書いていませんがw)

 mixiなどで「原作とは別モノ」という声をちらほら聞いていたのですが、いやいや、私的にはこれは「忠実」と呼べる範疇です。

 映画におけるストーリーテリングには、崩しがたい「型」というものが存在するのでありましてね。それに当てはめないと、一般受けする作品には決して仕上がらないのです。(そして、私はその「型」の信者です)

 芯さえ崩さなければ、語る順番はどう変えたって、「違うお話」にはならないのね。芯とは、“発端”と“結末”と“対立の構図”かなぁ。

 キャラクターや世界観の細かい部分なんてどうだっていいのね。原作では少年だったカスピアンが映画では青年になっていても、彼が王になるにはまだ未熟で、外部からの助けを必要としているのであれば、この『カスピアン王子の角笛』というお話は成立するからです。

 イギリス人の4人の兄妹と王子の邂逅や、アスラン登場のタイミングにしてもしかり。むしろ、ちんたらした原作よりも緊迫感を上げてくれたから良かったんじゃないのかな。

 いやいや決して原作が嫌いなわけではないんですが、全7話のうち、この『カスピアン』は私にとってはいちばん退屈だったものですから。(最も好きなのは『馬と少年』)

 ミラース城の夜襲など、原作にないシーンも大胆に挿入されていましたが、「書かれていなかった」場面にスポットを当てたわけで、もしも書かれたとすれば「こういう感じだったんだろうな」という説得力があればいいわけです。

 前作の『ライオンと魔女』は、あまりにも原作に忠実すぎていて、嬉しい反面、原作を読みすぎた者には新鮮味に欠けるという側面もありました。そういう意味で、今回の『角笛』は楽しかったですね。ハラハラしすぎて疲れたくらい。

 ただ、原作ファンとして寂しいのは、アクションに重きを置きすぎてごちそうの場面が描かれないことだナ~。
 ナルニアって、どの物語にも、必ずと言っていいほどごちそうを食べるシーンがありまして、まぁその描写の美味しそうなこと。作者のC・S・ルイスってイギリス人らしからぬグルメだったんじゃないかしら。
 映画だと、それが無いのよね(つД`)

 それから、大人のカスピアンも嫌いじゃないけど、ちょっとクールすぎますよね。ナルニア人たちに出会った時の感動が見えない。子どもの頃にナルニアのお伽噺を聞かされて憧れを募らせたというエピソードがまんま割愛されているので、まるで王位につくためにナルニア人と手を結んだような腹黒さを感じてしまいます。
 そこんところ、もう少し何とかならなかったんでしょうか。

narnia04.jpg ←期待以上に満足だったのはコイツ。ネズミの騎士、リーピチープです。

 道化役なので、《スター・ウォーズ/エピソード1》のジャージャービンクスみたいに目立ちすぎてウザくなってたらイヤだなぁと思っていたのですが、ちゃんと抑制がきいていました。

 活躍範囲もネズミの範囲を逸脱せず。笑いをとるところもわざとらしくないですし。

 第3章の《朝びらき丸 東の海へ》でも出てくるので、今後も注目したいです。
 

ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」@国立西洋美術館 [その他の話題]

nasubi.jpg 国立西洋美術館の企画展、ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜に行ってきました。

 感想としては……連休中に行くのは最悪だな、としか(笑)

 もともとギリシア神話に興味があるわけではなく、単にティツィアーノの↑の絵を見たかっただけなのです。
 サロメほどの感動はありませんでしたが、この画家の描く流し目、やはり印象深かった。

 人が多すぎて(しかも喋り声がけっこううるさい)全然落ち着けませんでしたので、目的を果たしたらさっさと出てしまいました。これで1400円ですか……うーむ……(さすがにケチ臭いことを言いたくなります)。

 時代や画風を問わず、ベッドに横たわる裸婦像ってのに目がありません。また、深紅やワインレッドのような、ちょっと隠微な色も好き。

 絵を見た後は夕方まで銀座をうろついていたのですが、露店でトルコ製のワインレッドのテーブルセンターを売っていたのを見つけて、思わず買ってしまいました。

 ……べつに、ヴィーナスの真似をするつもりはありませんから、ご安心を。ワタシが横たわっても寝大仏になるだけだし。

ヴェネツィア絵画展/Bunkamura [その他の話題]

 久々の渋谷。残暑と人混みでヘロヘロになりながら、Bunkamuraで開催されている展覧会『ヴェネツィア絵画のきらめき』へ行って参りました。

 本日のお目当ては、ティツィアーノの《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》。それと、ヴェロネーゼの《エッケ・ホモ》です。

 展覧会じたいは残念ながら「きらめき」という印象は薄く、ちょっと物足りない感じでしたが、好きな絵をじかに眺められたので良しとしましょう。

 宗教画、肖像画、風俗画(ほんの少し)、それから風景画がありました。
 ワタシの趣味は宗教画。絵のことなんて全然わからないのですが(感受性すら発達していないようです)、ルネサンス期からの宗教画には不思議と心惹かれます。

 画家の個性によって受ける印象は違うものの、唯一共通していると思われるのが、静寂感。テーマによっては大変ドラマチックな瞬間が活き活きと描かれているにもかかわらず、人物の息遣いすら聞こえてこない、あの硬直した感じ、美しくも嘘臭い雰囲気が好きなんだと思います。

 人物にも“個性”がありません。生きたモデルはいたのでしょうけれども、肖像画のように生々しい人生が滲み出ることはありません。だから、見ていて心がかき乱されない。

 芸術鑑賞に「心がかき乱されない」ことを望む姿勢もどうかと思いますが、たぶん、「瞑想」に似ているんじゃないかな、と。

 感情が揺れない状態で、じいいっと絵と相対しているうちに、自分自身の奥底の“核”みたいなものの存在をふっと感じることがあるんです。まぁ大抵はその手前で足が疲れちゃったり飽きちゃったりして、次の展示へと進むのですが、ごくたまに、自分の内側の自分が内面からトントンと心をノックするような感覚に気付くことがあります。

 あるいは、これが「かすかな細い声」なのかもしれません。

 サロメの視線。ヨハネの首に注がれているように見えて、実はもっと前の足元の方向に向けられているように感じます。もしくは、何も見えていないのかもしれません。おそらく彼女の意識は、自分の関与した血塗られた事件から遠く離れてしまっているのだと思うのです。この現実感の無さがいい。

 血にまみれたキリストの表情も穏やか。
 エッケ・ホモはキリストの生涯を描いたテーマの中で最も好きなものの一つです(いちばん好きなのは、ノリ・メ・タンゲレ)。たぶん、キリストが裸だからでしょう。

 子どもの頃から教会で「神の子キリストの聖なる生涯」についての英才教育(?)を受けさせられましたが、キリストの磔刑のあたりなんてワタシにとってはSMポ○ノそのもの。神妙な表情を作りながら、密かにイケナイ想像をしていたものですよ・・・

 それはさておき。
 音楽(というか、オペラ)には、笑いと感動を大いに期待しているワタシです。が、絵画に対しては全く逆なのね……ということを自覚して、それもとっても興味深かったです。
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