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カルーソーの歌を “聴く” ヘレン・ケラー -- 魂の対話 [オペラの話題]

carusoandkeller.jpg 小学生の頃に読んだ伝記に、
ヘレン・ケラー(1880-1968)が有名なオペラ歌手の唇と喉に触れて、その歌を聴いた”
というエピソードがありました。

 なにしろ子どもだったので、「振動を感じるだけじゃ歌なんてわかんないのに」と思いましたが、それなりに「いい話だな」と結論づけて、今に至るまで完全に忘れていたものです。

 YouTubeでたまたまこの動画を見つけて、「有名なオペラ歌手」というのがエンリコ・カルーソー(1873-1921)であったことを、ワタクシ、初めて知りました。
(右上の画像をクリックするとYouTubeに飛びます)

 もしかしたら、伝記にもちゃんと名前が書いてあったのかもしれませんが。
 そのエピソードが載っている同じページに、「数人のダンサーに囲まれて、バレエを“感じ”ているヘレン・ケラー」の写真があって、そちらのほうが子ども心に納得したので、バレエのエピソードは成人してからも何度も思い出すことがあったんですけれども。

 ケラーとカルーソーの出会いは1916年4月24日、ジョージア州アトランタでのことでした。ジョージアン・テラス・ホテルに宿泊していたカルーソーの部屋だったそうです。この時の様子はフィルムにも収められたとYouTubeのコメント欄にはありますが、サイレント映画の時代ですので、実際の音声は残っていないでしょう。

 リンク先のYouTubeの動画は、当時の新聞記事の画像と、カルーソーの歌う《サムソンとデリラ》3幕のアリア、「ああ!私の不幸をご覧ください」の音声を組み合わせたものです。小学校中学年当時とは違ってとても心に響きました。

 当時の様子を記したNYタイムズのコラム(1916/4/25)があります。こちら
 以下におおまかな訳を紹介します。

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夢とロマンの「ある夜のこと」/14人のイァーゴ [オペラ録音・映像鑑賞記]

othelloiago.jpg 19世紀生まれのアンティーク歌手たちによる《オテロ》名場面集より。14人のイァーゴ聴き比べ。

“ある夜のことです。宿舎でカッシオと眠っていた折、私は聞いてしまったのです。
 彼の唇がゆっくりと動いて、デズデーモナへの禁断の愛を囁くのを…!”


 オテロの妻デズデーモナと腹心カッシオの不義を吹き込むイァーゴの語り。
 淫らな夢を見るカッシオ(もちろん全くの作り話)を真似て、甘美で官能的な言葉を囁き、オテロの嫉妬心を煽ります。

「酒の歌」では豪快に、「クレド」では悪魔的な歌唱を繰り広げるこの役に与えられた、唯一のお色気っぽい歌唱が聴けるシーン…ということで、妙なハイテンションで聴いてしまう私(笑) イヴをそそのかす蛇のような狡猾なアプローチでも構わないのですが、ここを官能的に歌うからこそ、証拠もないのにオテロの猜疑心が一気に沸点に達するのでは?と思っております。

 バリトンのセクシー歌唱を聴きたいだけという、「趣味」の問題かもしれませんが(笑) 我らがアンティーク・バリトンの先生方のお色気度は如何に。

 尚、この回には、1887年の《オテロ》初演時にイァーゴを歌ったヴィクトール・モレルが参戦します。

 ※右上は1995年の映画『オセロー』の1シーン。ローレンス・フィッシュバーンのオセローと、ケネス・ブラナーのイァーゴ。


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夢とロマンの「クレド」/14人のイァーゴ [オペラ録音・映像鑑賞記]

gobija.jpg 19世紀生まれのアンティーク歌手たちによる《オテロ》、名場面集より。14人のイァーゴ聴き比べ。

 第2弾は「クレド(無慈悲な神の命ずるままに/悪の信条)」です。

 シェイクスピアの原作には無い、ヴェルディの《オテロ》独自のシーン。
「俺は残忍な神の申し子であり、悪そのものなのだ」と、イァーゴの本性があからさまに語られます。

 この独白により、イァーゴがオテロを陥れるのは「自分を引き立ててくれなかったことへの恨み」ではなく(それは表向きの理由)、そもそもが悪魔的な人間だからだということになるのですが、それを言葉どおりに受け取るか、裏に隠された意味を読み取るかで、この卑劣なキャラクターの演じ方が変わってきます。

 その昔はストレートに悪を肯定する表現が主流だったのではないかと思われます。イァーゴ名人ティト・ゴッビ(右上)はおそらくその最高峰。とんでもなく憎々しい「悪人イァーゴ」を見事に演じ、歌っています。一方、最近ではこの独白の言外に滲み出るイァーゴの自嘲を嗅ぎ付け、より複雑な性格表現を試みる歌唱も増えてきたのではないでしょうか。

「酒の歌」のコメント欄にてkeyakiさんが仰っていた、“ラストの高笑い” をどう処理するかも、それぞれの歌手の個性が見えて楽しめます。

 尚、「クレド」から我が家の最強ポケモンであるところのティッタ・ルッフォも参戦します。大声では負ける気がしません。大声では。

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「クレド」関連記事リンク
超レア!! -- ご禁制のアレンの“クレド”
グロソップ×ウ゛ィッカーズの『オテロ』/ヴェルディ :1


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夢とロマンの「酒の歌」/14人のイァーゴ [オペラ録音・映像鑑賞記]

oteya.jpg 《オテロ》好き、かつ、最近アンティーク歌手の魅力に目覚めてしまった私の為にあるようなCD、『Otello & Jago』を聴いております。

 最古の録音が1902年!! 最も新しいものが'51年のデル=モナコです。
 デル=モナコは20世紀生まれだし、録音年も新しすぎ(笑) このCDの主役である先生方、19世紀生まれのお歴々と比べますと「お呼びじゃない」って気がしますけれども。

 CDの2枚目の“イァーゴの巻”では、現在もゆるく進行中の「闘牛士の歌聴き比べ」に登場した名歌手たちの名前もあります。

 エスカミーリョではことごとく撃沈したイタリア人バリトンどもも、さすがヴェルディでは本領発揮。良いシゴトをしていますよ。

 更にテンションの上がることに、初演時のオテロとイァーゴだったフランチェスコ・タマーニョヴィクトール・モレルの貴重な録音が、他の歌手と同列に収録されているのです!

 ヴェルディ大先生に愛されたモレルと、あまりのヘタさに居残り練習させられたタマーニョ。エネルギッシュなヴェルディ魂を直接受け継いだ二人の声と歌唱を、晩年のものではありますが、この耳で直接聞くことができるとは。これぞアンティーク演奏を愛でる醍醐味、夢とロマンの極み

 更に更にすごいことには、単に古い音源を集めただけの選集ではないらしい。

 まず、音質がとんでもなくキレイ。レコード特有のあの雑音が極限まで排除され、歌手の声に奥行きが感じられます。例えば、私の持っているルッフォの“クレド”は、このCDに収録されているものが同音源での2つ目、カルーソーとの“神かけて誓う”は同音源での3つ目になりますが、明らかにこのCDの音のほうがクリアです。声の響きの微妙な変化まで聴き取れるので、ファンにとってはたまりません。

 そして、雑音なんかよりもこちらがいちばん大事なんでしょうが、レコードの回転速度によるピッチの上ズレもきちんと補正したとのこと。

 「闘牛士の歌」で私がいちいち気にしていたのもそれ。最高音がどこまで出せたかというのは私にとってはあまり重要ではありませんが、それよりも声の響き、厚みの違和感が大問題です。回転速度が変わっただけで印象が全く違ってしまいますし、いったん違和感に気付くとその歌手が人間からお人形さんに戻ってしまう。

 従来、明るい声でハイ・ピッチに歌われていたと思われていたタマーニョの録音も、実はレコードの回転速度がめちゃくちゃ速かっただけのようです。当時はレコード会社の間で速度の取り決めが為されていなかったため、こんなことが起こるんですね。このCDでは実際に歌ったキーを特定するところから丁寧にリストアされているので、よりタマーニョの肉声を想像しやすく、初演当時に思いを馳せることができるかも。
 
 以下に、ツィッターでちまちま呟いた感想をまとめました。
 とりあえずイァーゴから。普通は1枚目のオテロから聴くんでしょうが・・バリトン贔屓なので順序が逆ですw

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イァーゴ聴き比べもくじ
【酒の歌】アマート, ストラッチャーリ, スタービレ, シュルスヌス
【クレド】ジラルドーニ, アマート, ルッフォ, ガレッフィ, ボルゲーゼ, ダニーゼ
【ある夜のこと】モレル, ジラルドーニ, サンマルコ, バッティスティーニ, ルッフォ, ストラッチャーリ
【大理石のような大空にかけて誓う】アマート, ルッフォ, ストラッチャーリ, フランチ, バシオラ

オテロ聴き比べもくじ
【喜べ!】タマーニョ, デ・ムーロ, オサリヴァン, ザネッリ, ラウリ・ヴォルピ, デル・モナコ/【既に夜も更けた】メルリ&ムツィオ
【清らかな思い出は遠い彼方に】タマーニョ, デ・ネグリ, エスカレ, カレヤ, ヴェッツァーニ, ゼナテッロ, ザネッリ, ラウリ・ヴォルピ, マルティネッリ
【主よ!あなたは私の頭上に】エスカレ, ザネッリ, ペルティレ

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トスカニーニ盤《オテロ》'47年 -- ビナイのオテロとヴァルデンゴのイァーゴ [オペラ録音・映像鑑賞記]

toscaniniotello.jpg 《オテロ》の一文あらすじは⇒こちら

 アルトゥーロ・トスカニーニの《オテロ》(1947年)を聴きました。

 名盤という評判ですし、トスカニーニは19才の時にチェロ奏者としてオケピでこの作品の初演に参加したとの事で、つまり「動く」ヴェルディ大先生を見たことがある人の棒による演奏ですから、前々から興味はあったのですが・・。

 敬遠していた理由は、イァーゴを歌うジュゼッペ・ヴァルデンゴの声が軽いという評をどこかで目にしたことがあったので。

 今回、聴く気になったのは、オテロ役のラモン・ビナイのキャリアがバリトンドラマティック・テノールバリトンと変遷し、しかもバスの役まで歌ったということを知ったからです。

 バリトンからテノールへの転向組はそんなに珍しくありませんが、「バスって何よ、バスって?(*゚Д゚)」という興味から、いっちょう聴いてやろうじゃないかと重い腰を上げたわけです。

 その第一声、"Esultate!" を聴いた瞬間に思ったのは、「良いと言われているものは素直に聴いてみるべきだね」ということ。
 テノール時代はもう「オテロ専門家」みたいな歌い手だったとのことですから、魅了されないはずはありません。

 トスカニーニのダイナミックでサクサクした指揮にハマッてしまったこともあり、これまでの愛聴盤であったカラヤン盤(ヴィッカーズ×グロソップの)はしばし封印することにしました。

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No.81~83 ベリー, クヴィエチェン, ギュゼレフ ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

「ウィーンの3大エスカミーリョ」、エットレ・バスティアニーニ、ワルター・ベリー、ジョージ・ロンドン。ついに2人目のベリーが登場!
バスティアニーニの一人勝ち( ´ー`)y-~~だと思っていましたが、意外や意外。ベリーもけっこうイケてます。

引き続きロンドンの闘牛士も捜索中です。皆さんの通報をお待ちしています。

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walterberrport.jpgNo.81 ワルター・ベリー(Walter Berry)/オーストリア/1929 - 2000
原調/ドイツ語/録音年不明/
ウィーン3大エスカミーリョの2人目。'66年ザルツブルク音楽祭のお茶目なフィガロのイメージが強くて「どうなのよ?」と思っていましたが、当初の想像より男前っぽい歌いっぷりでびっくり。色気もアリ。歌い崩しもなく、こんなにイイ男だったっけ?と逆にツッコミたくなります。
No.70のプライほどでないにしても、気品だって感じられる。ドイツ語歌唱が気にならない点もプライと共通。もちろんベリーらしい愛嬌もそこかしこから漂ってくる。
顔から迫るバスティアニーニ(No.10, No.23)に対し、ベリーの歌唱は女性をすっと引き寄せる感じ。見直しちゃったよ・・



No.82 マリウシュ・クヴィエチェン(Mariusz Kwiecien)/ポーランド/1972 -
原調/フランス語/録音年不明/ライブ?
新国ドン・ジョヴァンニでの陶酔(⇒レポはこちら)が未だ記憶に新しく、ワクワクして聴いたものの、残念ながらそこまでの魅力は感じられない。声もこんなに薄かったっけ・・?
あのドンが特別だったのか、私の記憶が美化されているのか。
しかし元気溌剌な歌唱はドンで受けたイメージそのまま。#歌唱と東欧っぽいビブラートが、同じくドン歌いとして注目しているクリストファー・マルトマンには無い魅力を醸しているし。今のところポケモンに加えるのは保留にしているけど、やはり気になるバリトンではあります。



No.83 ニコラ・ギュゼレフ(Nicola Ghiuselev)/ブルガリア/1936 -
原調/フランス語/録音年不明/
重めな歌唱でトレアドール・ソングとしては好みじゃないけど、それを除けばOK範疇なバスカミーリョ。陽気な雰囲気があるからかもしれない。粋な遊び方をするオジさん風。「らぁ~あ~むぅ~る」は微妙にセクシーだし。一緒に飲みに行ってバーカウンターに並んで座ってあれこれ相談に乗ってもらいたいぞ!(←そりゃ闘牛士じゃなくて“理想の上司”だ)


※(この3つの音源を提供してくださったBasilioさん、ありがとう! そして現在進行中の大審問官の聴き比べ、頑張ってください!)

もう少し、ルッフォのこと。-- キャリア初期~中期について [オペラの話題]

※7/4 ルッフォの自伝『La mia parabola』に基づき、情報の誤りを訂正、追記しました。

tittaruffo3.jpg 西南戦争勃発の年、明治10年生まれ。
 4代目古今亭志ん生、第22代横綱・太刀山峰右衛門らとタメのティッタ・ルッフォです。

 この人のことをもっとよく知りたいと思い、暇がある時にネットでいろいろ調べてまわっています。
 有名な人ですので、日本語のサイトでも名前はちょくちょくお見かけします。が、具体的なバイオグラフィーやエピソードについてとなると、情報がある程度まとまっているのはWikipediaくらいでしょうか。

 ありがたいことにルッフォはキャリアの後半は米国でも活躍していましたので、英語でも少しは情報を得られるのですが、やはり通りいっぺんのことしか出ていません。

 そんな中、1912年にフィラデルフィアのNY(*1)メトロポリタン歌劇場にデビューした時のルッフォの新聞評を見つけました(⇒こちら)。おそらくネットに出回っている「(英語の)ルッフォ評」のオリジナルはこれでしょう。

 おお~!! と感動すると同時に、ちょっと怖いなと思いました。
 このリチャード・オルドリッチという人一人の評価が、後の時代の人々のルッフォのイメージを決定づけているように感じたからです。少なくとも、ネット上ではそんな感じ。

 オルドリッチのルッフォ評は、(最近初めてルッフォを聴いたド素人の私が言うのもおこがましいですが)まぁ妥当だったんじゃないのかなと思うのですが、こうしてネット上で言葉の断片だけが切り貼りされて世界中に拡散していくうちに、ルッフォの芸術の貴重な記録が、本質を失った虚ろな「情報」にすりかわっていきやしないかと。そして私自身もその「情報化」の共犯者になっていやしないかと。

 ネットの恩恵をたっぷり受けているオペラ愛好家の私ですが、ネットでの情報収集と発信にふと疑問を抱いてしまいました。

 とはいえ、素人の情報発信だからこそ意義がある、という側面もあると思うのです。ルッフォの時代は専門家による発信と素人の「口コミ」は全く別次元のものでしたが、ネットでは両者が同次元に存在します。このごった煮は危険ですが、一方で「たった一人の人間の視点で、ある物事の評価が決定される」という現象に待ったをかけることができる。

 私がある記録を集めて再発信するという行為は、記録そのものの質を落とすことになるのかもしれませんが、代わりにド素人ゆえの純粋で生々しい「感想」というものを新たに生み出しているわけです。
 どんなにくだらなかろうが、この「感想」というものが私という人間の生きた証であるのでして(笑)、形骸化したルッフォ評に一瞬でも命を吹き込むことができるのだとすれば…。

 それこそおこがましいかもしれませんが、情報の横流しに罪悪感を抱くのであれば、その償いとしてこれまで以上に誠実に感想を(そしてネタを)書いていこうと決心した次第。

 ところで。
 ルッフォの生誕の地、ピサのヴェルディ劇場には、ティッタ・ルッフォと名付けられた小ホールがあるそうです。バロック音楽のコンサートをするような所らしいのですが、今年(2012年)の1月13日、その小ホールでルッフォについての本 "Pisanità di Titta Ruffo. Il più grande baritono di tutti i tempi" の出版披露会が行われたというニュース記事を目にしました。⇒こちら

 Google翻訳と「心の目」で読み解いた限りでは、「ピサ生まれの最も偉大な、かつ不朽のバリトン歌手の生い立ちから成功までを、当時の新聞記事や批評などの記録を用いて再認識しましょう」という、なんともスバラシイ内容のようです。

 それそれ! そういうことを知りたいんですよ。
 点眼一滴=1時間イタリア語が読める、みたいな目薬、ありませんかね?


*    *    *


 さんざん言い訳をして気も晴れましたので、前回の記事ではすっ飛ばした、ルッフォのキャリア初期~中期について、以下に簡単にまとめておきます。参照ページは⇒こちら

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サー・トーマス、フィッシャー=ディスカウの思い出を語る [オペラの話題]

※5/25 アレンとフィッシャー=ディスカウ、イアン・ボストリッジの3ショット写真を追加しました。
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Alabera.jpg 5/18に亡くなったディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウの追悼番組がBBC Radio4 の“Last Word” で放送されました。

 その週に亡くなった有名人の思い出語りをするというもので、30分弱の番組内で毎回3~4人が取り上げられます。
 フィッシャー=ディスカウの名は今週のトップなのですが、サー・トーマス・アレンがスタジオに招かれ、ホストのマシュー・バニスターにフィッシャー=ディスカウについての思い出を語っています。

 clevelanderさんに教えていただきました。
 いつも本当にありがとうございます。

 BBCのIPlayerで聴けますので、ご興味のある方は是非どうぞ。⇒(こちら

 また、右上の画像をクリックすると、フィッシャー=ディスカウとリーザ・デラ・カーザの《アラベラ》が観られます。アレンの思い出話に登場する作品です。

 以下、アレンの語った内容を、「心の耳」を駆使してざっくりと意訳してみました。

 初めて聴いたフィッシャー=ディスカウのレコードは学生時代に買ったブラームスのアルバム。オペラに関する様々な指導を受けていた頃だった。その一つがドイツ・リートで、その時にフィッシャー=ディスカウのことも教えられた。その後の自分の歌唱を確立していく上で、とても影響を受けた。

 彼の最大の魅力は、汚れのない声、歌唱にあると思う。とても美しく自然だ。彼の録音はどれを聴いてもまがうことのない正確さがある。エレガントな声のトーンが特に発揮されているのは、おそらくシューベルトなんじゃないかと思う。もっと彼らしいと思うのは、ヴォルフの歌曲だ。

 64年か65年に、コヴェント・ガーデン(ROH)で《アラベラ》を観た。フィッシャー=ディスカウがマンドリカ、リーザ・デラ・カーザがアラベラ、指揮はショルティだった。劇場の最も天井に近い席から観て、(マンドリカは)なんて難しい役なんだろう、そしてフィッシャー=ディスカウはなんて易々とそれを歌ってのけるんだろうと、とても心を打たれた。

 後年、私がミュンヘンで歌い始めた時、劇場のボックスオフィスに、まるで『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーのような写真が掲げてあって、それがフィッシャー=ディスカウ(のマンドリカ)とデラ・カーザ(のアラベラ)だった。美しい二人の舞台は素晴らしかった。1幕が終わったら観客は拍手喝采。あの瞬間はまさに魔法がかかっていた。胸が高鳴る公演だった。

 フィッシャー=ディスカウと初めて会ったのは、ロイヤル・アルバート・ホールでの《戦争レクイエム》のコンサートで、初日のリハーサルが終わった朝のことだった。彼と会ったのは全くの偶然で、たまたま私はホールの中を歩いていたんだが、誰かの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。あのホールは円形なので、いきなりフィッシャー=ディスカウと出くわすという形になった。まるで小学生みたいにその場に立ちすくんでしまった。

 それから数年後に、ザルツブルクでまたフィッシャー=ディスカウと再会することになった。彼の75才の祝賀会だった。彼は自分の業績についてとても謙虚な態度で語っていたが、その業績とは実は計り知れないものだったんだ。彼は本当に計り知れない、歴史に残る偉大な人物だ」


 アレンが感激したというROHの《アラベラ》は、65年1月の公演のことのようです。
 ROHのデータベースは⇒こちら

 ちなみに、1988年のバイエルン国立歌劇場来日公演で《アラベラ》が日本で初上演されましたが、この時のマンドリカ役がトーマス・アレンでした。
 23年前のフィッシャー=ディスカウの歌唱に感動したことを思い出した、なんて瞬間もあったのではないかと思います。

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No.76~80 テジエ②, トゥマニャン②, エンドレーズ, コー, ルイヨン ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

新たなポケモン(贔屓歌手)を見つけたからといって、この企画は止まりません。No.100までは・・・
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No.76 リュドヴィク・テジエ(Ludovic Tezier)②/フランス/1968 -
原調/フランス語/2007年コンサート/
このテンポの遅さは好みではない。昨今のトレアドールは重量感重視なのだろうか。とはいえ、コンサートだからって変なことをやらかさないテジエの歌唱には好感が持てる。そして低音のビブラートはちょっと魅力的。


No.77 バルセク・トゥマニャン ②(Barseg Tumanyan) アルメニア /1958 -
原調/フランス語/録音年不詳 ⇒YouTube
①ではちょっと酷評したけど、こちらのトレアドールはガチで素敵。こんなに柔らかいレガートで歌える人はそうはいない。覇気と色気が両立している。バスだけど、理想的なエスカミーリョです。
こういうのを聴くと、他の純正バスの役もこの人で聴いてみたいと思いますね。
ロシア赤軍合唱団との共演。


endrezeport.jpgNo.78 アーサー・エンドレーズ (Arthur Endreze)アメリカ/1893 - 1975 ⇒YouTube
原調/フランス語/1930年の録音/
米国人なのになぜかフランスで活躍したそうだが、これを聴いたらわかる気がした。
声がオッサン臭くないのだ。二枚目系、優男系な歌唱なのだ。ユルっとしたビブラートは「水もしたたるイイ男」的な瑞々しさを連想させる。当時のフランスってそういうバリトンが多いでショ・・
で、他のフランス・バリトンと同じく、強い男って感じではない。《タイス》のアタナエルならいいんじゃないかな?(でもそれはブランの専売特許なんだけど)。


No.79 センヒョン・コー (Seng-Hyoun Ko)韓国/
原調/フランス語/2011年オランジュ/
来シーズンの新国トスカでスカルピアを歌う人だから聴いてみた。輪郭のぼやけた腹声であまり好きではない。音程もどっかへ行っちゃってるし。ここだけ聴くと、トスカ行くのやめようかなって思ってしまうのだが、この大声は捨てがたいし、意外とオモシロいかもしれないと思ってみたり。まぁ百聞は一聴にしかずってことで、生で聴ける人は生で判断するのがよろしかろう。生で聴けない人ばかり好きになっちゃう私にとって、これ以上の贅沢はない。


No.80 フィリップ・ルイヨン (Philippe Rouillon)フランス?/
原調/フランス語/1991年ライブ/
こういう発声も苦手なタイプ。強力な鳥もちを口に詰めて歌っているみたいで、聴いているだけで疲れてしまう。
「すごい大変なんでしょうね?」と思うんですが、歌っている本人はこれが自然な歌い方だったりして・・

ライオンの歌声(La Voce del Leone)-- ティッタ・ルッフォのハムレット 「乾杯の歌」 [オペラの話題]

※7/4 ルッフォの自伝『La mia Parabola』に基づき、情報の誤りについて加筆訂正しました。
※5/15 レパートリーとカルーソーとの逸話、引退後の人生について追記しました。

tittaruffoport.jpg 100人の「闘牛士の歌」聴き比べ企画、その74人目に出会ったバリトンティッタ・ルッフォ(※1)(本名:ルッフォ・カフィエロ・ティッタ)でした。

 1877年、イタリアのピサの生まれ。
 蓄音機の時代ですよ、蓄音機!
 なんせエジソンが蓄音機(グラモフォン)の前身のフォノグラフを発明したのが1877年なんですから。

 エルネスト・ブランバスティアニーニを「ヴィンテージ」とするならば、ルッフォは正真正銘の「アンティーク」です。

 聴き比べを始めた時は「新たなご贔屓に巡り会えるかもしれない」なんて軽い気持ちで言っていましたけど、そして本当に「惚れた」と言ってよいほどの声に出会うことができましたが、こんなに大昔の人のつもりは…orz

 初聴きの「闘牛士の歌」も音質は悪いものでした。伴奏はドサ回りのサーカスみたいだし。ルッフォの歌いまわしも古臭くて、この歌の歌い手としては私の評価はそう高くはありません。

 けれども、「なんじゃこりゃ。変な闘牛士!」と思いながらも、指先がふっと肌にふれるかのようにかすかに心に響いてきたもの。それが、圧縮された音質を突き抜けるかのような大声量であり、バリトンらしい雄々しい声音であり、滑らかなビブラートであり、天井知らずにするすると伸びてゆく高音域であったのです。

 振り返ってみれば、ピーター・グロソップの声に耳がピクッとなった時も、同じような感覚を抱いていたように思います。どちらも大声が売りな歌手だし、タイプは似ているんじゃないでしょうか。

 ただ、ルッフォのほうがテクニックも声の豊かさも数段上ですね。

 タイミングの良いことに、中古屋さんでルッフォのアリア集を見つけ、プレイヤーにかじり付くようにして聴いた今では、グロソップの声に惹かれたのはルッフォの声に出会うまでの一つの道標にすぎなかったのではと思うほど。
(まぁルッフォで気分が盛り上がっているので、今はそんなふうに感じるんでしょう。グロ様、ゴメンネ)

 “ライオンの歌声(La Voce del Leone)” と呼ばれたのだそうです。

 それはおそらく、野生的で豪快なルッフォの声を賞賛すると同時に、揶揄する意味も少なからず込められていたのかもしれません。エンリコ・カルーソーでさえも、その大声がゆえに(?)ルッフォとの共演をしぶった…との逸話も目にしました。

 ルッフォが頭角を現す以前は、優美で技巧的な歌唱が主流だったとのこと。ドラマティックで力強いルッフォの歌唱は当時としては斬新だったのでしょう。彼の発声はほぼ自己流なのだそうです。
「喚き散らしているだけ」と言うアンチな批評家もいたようですが、後に続くヴィンテージ歌手たちの傾向をみると、ルッフォの存在がヴェルディ・バリトンの流れを変えたのかな?と思えなくもありません。
 レナード・ウォーレンロバート・メリルはルッフォの信奉者だったとか。

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