ブリテンの死生観とビリー・バッド:2 [オペラ録音・映像鑑賞記]
↓セオドア・アップマンの
ビリー・バッドの貴重な録音を聴きました。
言葉を詰まらせたビリーがクラッガートを殴り殺してしまうシーン~軍法裁判での「Captain Vere, Save me!」あたりまでのハイライト(1951年ライブ)です。ブリテン初期のオペラ、『ルクレツィアの陵辱』ライヴ盤のボーナス・トラックとして収められていたんですヨ。
部屋頭ピアーズ@ヴィア艦長との同部屋対決がかなりウケます。
アップマンのビリーはかなりのナヨナヨ&おイロケ歌唱だヨ( ´;゚;ё;゚;)
グロソップ様(←敬称をつけるまでに気分が盛り上がっている)のゴリゴリ歌唱に惚れた身としてはちょっと身震いしてしまいますが、世界初演時のライブ収録(全曲盤)もあるようなので、是非とも手に入れて検証したいトコロです。
検証って何を?って……そりゃアナタ……(*´艸`)プクク
いやだから、『ビリー・バッド』はおホモでもアブノーマルでも、ましてやショタな作品でもないんですヨ!!(`・ω・´)
アップマンの美貌がナンボのもんじゃいっ! 歌手は見た目じゃねー。演技と歌唱力で勝負しろってンだ!
英国を代表する名バリトン歌手のアレンだって、ビリー・バッド、演ってるンです。
DVDだってあるんざますよ。なんと、映像化されてるビリーは世界で兄さんのだけってゆーんだから凄いネ~(*´∨`) エヘン
兄さんは二枚目ってわけじゃないが、美声だし。現代モノ得意だし。演技力には定評あるし。
マジ歌唱をすれば、
さぞかし瑞々しい、
ビリーであると……
----------------------------------
間違えた。
--------------------------------------------
本題。
ブリテンの歌劇は人がよく死ぬ。もちろん死なない作品もあるけれど、これまでこのブログで感想を書いた2作品、『ピーター・グライムズ』『ねじの回転』はいずれも、ラストで主人公が死んで終わります。
感想はまだだけど、日本の能を題材にした『カーリュー・リヴァー』にしたって、主人公の狂女は死なないけれども、やはり彼女の息子の死が物語の鍵となっています。
以前、R=ジョンソンによる『ピーター・グライムズ』の感想を書いた際、主人公を「“死”に安らぎを見いだす種類の人間」と評したことがありましたけれども、ブリテンがオペラの題材として選んだリストを眺めるにつけ、作曲者こそが「“死”に魅入らて」いたのではなかったかと思ってしまう。
未聴ですが、ブリテン最後のオペラ『ヴェニスに死す』など、モロにそれなんじゃないでしょうか。
で、『ビリー・バッド』なんですけれども、船乗りとしては有能だが、複雑で狡猾な世俗をわたっていくにはあまりにも未成熟だった青年が、(反乱罪としては)彼の無実を疑う者は誰ひとりとしていないにもかかわらず、処刑されねばならぬという、なんとも心の痛む物語です。
さらに涙を誘うことには、当のビリーがそういった自分を運命を――ヴィアや水夫仲間や、我々視聴者が騒ぐほどには――嘆いていないという。
世の理不尽さを恨むことができるほどにビリーの精神が成熟していない、と言ってしまえばそれまでですが、ビリーのこの無邪気さ、死に対するほとんど幼稚なまでの無防備さが、ブリテンの死生観にピタリと一致しているのではないかと思うのです。
ブリテンの他の作品と同様、『ビリー・バッド』の音楽も不協和音満載だし、調の違う複数のメロディがごちゃまぜになったりして、聴き難い部分がある。が、処刑前のビリーの独唱 『Look! Through the port comes the moon-shine astray』 は、文字通りその部分にだけすっと光が差し込んできたかのように、シンプルで透明感のあるメロディが流れます。
I Feel it stealing now ... Roll me over fair. I'm sleepy, and the oozy about me twist.
今からもう眠くなってきた… 優しく揺すっておくれ。 眠たいな。海の藻屑が身体にからみつく。
自分の処刑の場面を思い浮かべたとたん、ぞっとするよりも先に、睡魔にからみとられてゆく。ビリーにとって眠りは逃避であり、安らぎを与えてくれる場所なのでしょう。
この独唱のメロディは劇中の他の部分でも使われており、その一つが第一幕(四幕ヴァージョンでは、第二幕)の、クラッガートに脅された新兵がビリーを罠にはめようと言い寄るシーン。「Wake up! Wake up!」とささやく新兵に、ビリーは半分寝言のように答えます。
Dreaming, drowsing... It's a dreaming that I am ― fathoms down, fathoms... (中略) Christ, I dreamed I was under the sea!
夢だ、眠たい… これは夢だろうか、深く深く沈んでいく… (中略) なんという夢だ。俺が海の底にいた。
独唱と全く同じメロディで、同じように眠気を訴える。この後の運命の急展開を予告する伏線であるとともに、はためには戦艦無敵号で楽しくやっているように見えるビリーが実は「海の底(異世界)」に属する者であるという暗示にも思えてしまう。
新兵にそそのかされたビリーがまた言葉を詰まらせていると、仲間のダンスカーがやって来て、「古巣に戻れ」と忠告する。ビリーは「ここのほうが楽しい」と言って拒否しますが、そもそも彼は強制徴兵によって“拉致”されてきたわけだし、ここは海の上。戻るなどという選択肢あり得ない。ダンスカーの台詞は象徴的です。
戦艦無敵号という閉ざされた世界では、ビリーは“外”からやってきた異質の存在。しばらくは共存も可能でしょうが、やがてはひずみを生じさせます。
ピーター・グライムズはそのひずみに抵抗したが破れ、解決として「死」を選びました。一種の性格悲劇です。
ビリー・バッドの物語の場合は、主人公も「これが運命だ」と言っているように、運命悲劇の色合いが強い。しかし、解決が「死」であることは同じです。そして、ピーター・グライムズよりも更に強く、「死」という“救い”への憧憬が表現されていると思います。
もう一度、処刑前の独唱に戻ると、ダンスカーと最後の会話を交わしたビリーは力を受け、先ほどまでのまどろんだようなメロディとはうってかわって、はっきりと覚醒した調子で歌います。
But I've sighted a sail in the storm, the far-shining sail that's not Fate, and I'm contented. I've seen the where she's bound for. She has a land of her own where she'll anchor for ever.
でも俺は嵐の中を進む船を見た。遠くに光る帆は死神ではなかった。俺は安心した。その船がどこに向かうのかわかった。その船には永遠に錨を降ろす港があった。
この部分の印象的なメロディも、劇のラストで繰り返されます。何度目かのテノールによる狂乱の場、ヴィアの独白部分ですね。
セクシャルマイノリティであったブリテンにとって、現世は生き難い場所だったのかもしれません。
あくまでも作品を通して、私が勝手に想像しているだけのことですが、このような生き難さに悩む人々にとっては、現世は「眠り」であり「夢」であり、「海原をたゆとう船」であり、死こそ「目覚めて、錨を降ろす港」なのでありましょう。
ビリー・バッドもブリテンも、生きながらにして、魂は既にあの世に在るのです。
ビリー・バッドの貴重な録音を聴きました。
言葉を詰まらせたビリーがクラッガートを殴り殺してしまうシーン~軍法裁判での「Captain Vere, Save me!」あたりまでのハイライト(1951年ライブ)です。ブリテン初期のオペラ、『ルクレツィアの陵辱』ライヴ盤のボーナス・トラックとして収められていたんですヨ。
部屋頭ピアーズ@ヴィア艦長との同部屋対決がかなりウケます。
アップマンのビリーはかなりのナヨナヨ&おイロケ歌唱だヨ( ´;゚;ё;゚;)
グロソップ様(←敬称をつけるまでに気分が盛り上がっている)のゴリゴリ歌唱に惚れた身としてはちょっと身震いしてしまいますが、世界初演時のライブ収録(全曲盤)もあるようなので、是非とも手に入れて検証したいトコロです。
検証って何を?って……そりゃアナタ……(*´艸`)プクク
いやだから、『ビリー・バッド』はおホモでもアブノーマルでも、ましてやショタな作品でもないんですヨ!!(`・ω・´)
アップマンの美貌がナンボのもんじゃいっ! 歌手は見た目じゃねー。演技と歌唱力で勝負しろってンだ!
英国を代表する名バリトン歌手のアレンだって、ビリー・バッド、演ってるンです。
DVDだってあるんざますよ。なんと、映像化されてるビリーは世界で兄さんのだけってゆーんだから凄いネ~(*´∨`) エヘン
兄さんは二枚目ってわけじゃないが、美声だし。現代モノ得意だし。演技力には定評あるし。
マジ歌唱をすれば、
さぞかし瑞々しい、
ビリーであると……
----------------------------------
間違えた。
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本題。
ブリテンの歌劇は人がよく死ぬ。もちろん死なない作品もあるけれど、これまでこのブログで感想を書いた2作品、『ピーター・グライムズ』『ねじの回転』はいずれも、ラストで主人公が死んで終わります。
感想はまだだけど、日本の能を題材にした『カーリュー・リヴァー』にしたって、主人公の狂女は死なないけれども、やはり彼女の息子の死が物語の鍵となっています。
以前、R=ジョンソンによる『ピーター・グライムズ』の感想を書いた際、主人公を「“死”に安らぎを見いだす種類の人間」と評したことがありましたけれども、ブリテンがオペラの題材として選んだリストを眺めるにつけ、作曲者こそが「“死”に魅入らて」いたのではなかったかと思ってしまう。
未聴ですが、ブリテン最後のオペラ『ヴェニスに死す』など、モロにそれなんじゃないでしょうか。
で、『ビリー・バッド』なんですけれども、船乗りとしては有能だが、複雑で狡猾な世俗をわたっていくにはあまりにも未成熟だった青年が、(反乱罪としては)彼の無実を疑う者は誰ひとりとしていないにもかかわらず、処刑されねばならぬという、なんとも心の痛む物語です。
さらに涙を誘うことには、当のビリーがそういった自分を運命を――ヴィアや水夫仲間や、我々視聴者が騒ぐほどには――嘆いていないという。
世の理不尽さを恨むことができるほどにビリーの精神が成熟していない、と言ってしまえばそれまでですが、ビリーのこの無邪気さ、死に対するほとんど幼稚なまでの無防備さが、ブリテンの死生観にピタリと一致しているのではないかと思うのです。
ブリテンの他の作品と同様、『ビリー・バッド』の音楽も不協和音満載だし、調の違う複数のメロディがごちゃまぜになったりして、聴き難い部分がある。が、処刑前のビリーの独唱 『Look! Through the port comes the moon-shine astray』 は、文字通りその部分にだけすっと光が差し込んできたかのように、シンプルで透明感のあるメロディが流れます。
I Feel it stealing now ... Roll me over fair. I'm sleepy, and the oozy about me twist.
今からもう眠くなってきた… 優しく揺すっておくれ。 眠たいな。海の藻屑が身体にからみつく。
訳:木村博江
自分の処刑の場面を思い浮かべたとたん、ぞっとするよりも先に、睡魔にからみとられてゆく。ビリーにとって眠りは逃避であり、安らぎを与えてくれる場所なのでしょう。
この独唱のメロディは劇中の他の部分でも使われており、その一つが第一幕(四幕ヴァージョンでは、第二幕)の、クラッガートに脅された新兵がビリーを罠にはめようと言い寄るシーン。「Wake up! Wake up!」とささやく新兵に、ビリーは半分寝言のように答えます。
Dreaming, drowsing... It's a dreaming that I am ― fathoms down, fathoms... (中略) Christ, I dreamed I was under the sea!
夢だ、眠たい… これは夢だろうか、深く深く沈んでいく… (中略) なんという夢だ。俺が海の底にいた。
訳:木村博江
独唱と全く同じメロディで、同じように眠気を訴える。この後の運命の急展開を予告する伏線であるとともに、はためには戦艦無敵号で楽しくやっているように見えるビリーが実は「海の底(異世界)」に属する者であるという暗示にも思えてしまう。
新兵にそそのかされたビリーがまた言葉を詰まらせていると、仲間のダンスカーがやって来て、「古巣に戻れ」と忠告する。ビリーは「ここのほうが楽しい」と言って拒否しますが、そもそも彼は強制徴兵によって“拉致”されてきたわけだし、ここは海の上。戻るなどという選択肢あり得ない。ダンスカーの台詞は象徴的です。
戦艦無敵号という閉ざされた世界では、ビリーは“外”からやってきた異質の存在。しばらくは共存も可能でしょうが、やがてはひずみを生じさせます。
ピーター・グライムズはそのひずみに抵抗したが破れ、解決として「死」を選びました。一種の性格悲劇です。
ビリー・バッドの物語の場合は、主人公も「これが運命だ」と言っているように、運命悲劇の色合いが強い。しかし、解決が「死」であることは同じです。そして、ピーター・グライムズよりも更に強く、「死」という“救い”への憧憬が表現されていると思います。
もう一度、処刑前の独唱に戻ると、ダンスカーと最後の会話を交わしたビリーは力を受け、先ほどまでのまどろんだようなメロディとはうってかわって、はっきりと覚醒した調子で歌います。
But I've sighted a sail in the storm, the far-shining sail that's not Fate, and I'm contented. I've seen the where she's bound for. She has a land of her own where she'll anchor for ever.
でも俺は嵐の中を進む船を見た。遠くに光る帆は死神ではなかった。俺は安心した。その船がどこに向かうのかわかった。その船には永遠に錨を降ろす港があった。
訳:木村博江
この部分の印象的なメロディも、劇のラストで繰り返されます。何度目かのテノールによる狂乱の場、ヴィアの独白部分ですね。
セクシャルマイノリティであったブリテンにとって、現世は生き難い場所だったのかもしれません。
あくまでも作品を通して、私が勝手に想像しているだけのことですが、このような生き難さに悩む人々にとっては、現世は「眠り」であり「夢」であり、「海原をたゆとう船」であり、死こそ「目覚めて、錨を降ろす港」なのでありましょう。
ビリー・バッドもブリテンも、生きながらにして、魂は既にあの世に在るのです。
タグ:ビリー・バッド
2007-04-29 19:01
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コメント(2)
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TITLE:
SECRET: 0
PASS: 742cb0f5021e9100f6f688db477b48d6
>間違えた
わっはっは(^^)ビリーいつの間にドイツ人に?実際に映像のアレンビリーはなかなかイケテルと思うのですが…かっこよくてはネタになりませんかね?(^^)
>ダンスカーと最後の会話を交わしたビリーは力を受け、
>はっきりと覚醒した調子で
ウィスキーとビスケットが、ワインとパンの代わりなのかな~なんて思うこともあります。単に頭に栄養が届いただけかもしれませんが(笑)
>船には永遠に錨を降ろす港があった
上の部分ではキリスト教の最期の晩餐・聖体拝領のイメージが喚起されるにもかかわらず、この死生観は「アーサー王伝説」や「指輪物語」などで見られる「海の向こうにある(船で行く)異世界」というイメージなんですよね。この神話とキリスト教のミックス具合は非常に面白いのですが、こういう読みをしていくと抜け出せなくなりそうなのでいつも適当なところで止めてます(^^)
このシリーズ、暗い内容で一般的には顰蹙を買うかもしれませんが、つづきよろしくお願いしまっす!(まだありますよね?)
by Sardanapalus (2007-05-01 18:07)
TITLE:
SECRET: 0
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>かっこよくてはネタになりませんかね?
Σ( ̄□ ̄;)ぎくぅっ!!
勿体つけてるよーに見せかけて、実はどうにもイジリようもない映像に手こずっているのを見破りましたね!?
>ウィスキーとビスケットが、ワインとパンの代わりなのかな~
まさしくそれでしょうネ♪
つまり、キリストが死に打ち勝ったように、ビリーも真実の生命に凱旋するのだ、と。覚醒(?)後の希望に溢れた旋律は、勝者の凱歌なんだと思っています。
だからワタシとっては暗いどころか、結構なハッピーエンディングだったり。処刑直後の船乗りたちの「うむむむ…!!」っつう合唱なんか、最高のカタルシスですよね。
>「海の向こうにある(船で行く)異世界」
うわぁ、それには思い当たりませんでした。確かに…。
それって英国独特のものですか? それともヨーロッパ全体?
日本にも(海ではなく川ですが)橋姫信仰というものがあったりしますが、「水」って何か特別なものが感じられるモノのようですね。
>まだありますよね?
……あります……ってゆーか、やりたい、やらせて。
皆さん逃げるなら(以下略)
by しま (2007-05-01 23:16)