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『薔薇の名前』のミニッツライナー [その他の話題]

nameoftherose1.jpg ショーン・コネリー主演、ジャン=ジャック・アノー監督による映画『薔薇の名前』(1986年)のミニッツライナーをやりました。

 ミニッツライナーとは、ケロヨンさん@oyasumi210z がなさっている映画の構造分析の方法で、映画の本編を1分ごとに止めて「だれが」「なにをした」かだけを1行ずつ書いていくというものです。(ご興味のある方はぜひケロヨンさんのブログをご覧になってください。⇒こちら

 120分の映画でしたら本編を120回ストップさせて内容を書き留めねばならないので大変ですが、これをやれば「今後一生その映画を観なくてもいいくらい理解が深まる」とのこと。興味があったのでやってみました。

 まずは1分毎の出来事をリストアップ。その後で、シーンを細かく区切ることによってより顕著に見えてきたテーマについて、思いつくままに書き連ねました。三幕構成の分け方やログラインのまとめ方は田中靖彦さんの『ハリウッドストーリーテリング』を参考にしています。

 ちなみに『薔薇の名前』を選んだのは、好きな作品だし、たまたま手元にソフトがあったからです(『エンゼルハート』も候補だった)。大昔に原作にも手を出しましたが3分の1ほど読んで挫折しました。なので、小難しい蘊蓄は一切なし。映画から読み取れることだけでまとめました。

 ブログテーマとは全く関係のない内容で恐縮ですが、他に長文を公開できる場所が無かったもので、この場を借りることにしました。
 頻繁にブログを管理できないので、コメント欄は閉じています。ご了承ください。

 では興味のある方だけ、続きをどうぞ↓↓↓

 ※ネタバレあります。かなり昔の映画ですが、念のため。

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タイムズスクエアのローザ・ポンセル像 [オペラの話題]

fimss.jpg rps.jpg

 前回、ローザ・ポンセルについての記事を書きましたところ、お世話になっている名古屋のおやじさんからポンセル像がタイムズスクエアにあるという情報を教えていただきました。

 以下、おおまかに調べたことを更におおまかに記載します。

 ポンセルの像は、ブロードウェイ1552番地に建つ旧I.ミラー靴店(I. Miller shoe shop)の片側の壁に設置されています。

 1920年代に設立されたミラー靴店は、演劇や舞踊の為の靴の専門店としてワールドワイドに展開していたそうです。
 その外壁に設置された4人の偉大な女優・歌手たちの像は、この街に集まる演劇ファンたちの目を楽しませていたのだとか。

 像はそれぞれ、エセル・バリモア(オフィーリア)、メアリー・ピックフォード(小公子)、マリリン・ミラー(サニー)、ローザ・ポンセル(ノルマ)です。

 初お目見えは1928年。

 歳月を経てこの建物も朽ち始め、次第に誰にも見向きもされなくなっていきました。現在では屋根から特大サイズの商業広告が見下ろしていますし、像の設置された壁の反対側にはマクドナルドが入っています。

 何とかしてこの由緒ある建造物を守りたいと、昨年秋頃から修復が始まり、12月中旬にはすっかり美しく蘇った姿を披露しています。⇒⇒⇒⇒こちら
(記事トップのI.ミラー・ビルの画像は修復前のものです)

 ※こちらのブログで改装前と後の画像を見られます。

ローザ・ポンセル -- スカートを履いたカルーソー [オペラの話題]

rpport01.jpg 中古屋さんでローザ・ポンセルのCDを見つけました。

 ヴェルディ抜粋盤。収録曲は《アイーダ》《トロヴァトーレ》《運命の力》で、共演者にジョヴァンニ・マルティネッリ、リッカルド・ストラッチャーリ、エツィオ・ピンツァの名前があります。
⇒⇒⇒こちらのCDです

 ポンセルといえば、かのトゥリオ・セラフィンの言うところの「3人の奇跡」の1人なのだそうです(他の2人は、カルーソーとルッフォ)。

 しばらく同時代の別のソプラノに入れ込んでいたのでポンセルについては後回しだったのですが、ディスクを見つけたのも何かの縁。それに、ピンツァの歌唱も聴いてみたかったのでホクホク購入しました。

 1曲目。
 マルティネッリのラダメス。「清きアイーダ」
 うん、オテロの時も思ったが、ちょっと弱いぞ。ニョロニョロしてるぞ。

 そして2曲目。
 ポンセルの「勝ちて帰れ」。
 その第一声を聴くなり、凡人の私も思わず呟いてしまったのです。

 奇跡じゃぁぁ~!!(←〝タタリじゃぁぁ~!!〟風に……)

 ※上の画像をクリックすると、YouTube、ポンセルの歌う『勝ちて帰れ』へ飛びます。

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ティッタ・ルッフォの全録音を粘着に聴いて感想をつけてみた/Edition Vol.2 [オペラ録音・映像鑑賞記]

ruffoedition.jpg Edition Vol.2 の感想です。収録年は1912年~1920年頃。

 1906年あたりからとんでもなく素晴らしくなったティッタ・ルッフォの歌唱は、このVol.2 の時期に最盛期を迎えたと言ってよいでしょう。35才~42才くらいですね。

 30代で最盛期というのが本当に惜しい。バリトンなら40~50代が最も輝いている年代だと思うんですけれども。

 Vol.2に収められているアリアや重唱、歌曲の数々はルッフォがファンに遺してくれた、まさに「至宝」と呼べるものだと思います。

 右上の画像は今回私が聴いたCDとは違いますが、このVol.2 の名唱がほとんど入っていてお得な選集となっております。Vol.1のヘタクソ歌唱は皆無だしお値段も(まぁまぁ)安いですし、ルッフォに興味を持ってくださった方がいらっしゃったらお勧めしたいです。(画像をクリックするとamazonへ飛びます)

 いやホント、¥4,500 なんて安い安い。ルッフォのためにEdition1~3と自伝、アンソロジーと、あれこれ手を伸ばしましたが、絶版だったりするんでけっこうなお値段になってるわけです。いつも中古屋で¥1,000以内のCDを探している身ですから、いくらファンでも手を出す前にクヨクヨ悩みましたぞ(笑)

 ああ、こっちなら、1曲ずつmp3で買えますわww
 と、一人でもファンを増やしたいがために宣伝活動にいそしむ私。アフィリエイトとかやってないんで、私の懐には1銭も入りませんぞ(笑)

 新しモノ好きなルッフォおじさんも、100年後にこんなふうに自分の録音が売られていると知ったら、さぞかし驚かれることでしょうね。

 閑話休題。
 Vol.2はイタリアやフランスのメジャーなオペラや歌曲が中心。《アフリカの女》や《クリストフォロ・コロンボ》など今では珍しいものもありますけど、ルッフォの自伝にはちょくちょく出てきたタイトルなので、これらも当時はメジャーだったんでしょう。

 いきなり『ハムレット』の朗読(歌じゃない!)が聞こえてきてビビったりもしましたが、感動しつつ楽しみつつツッコミつつ聴きました。エンリコ・カルーソーとの《オテロ》二重唱も入っております。

 ⇒⇒ティッタ・ルッフォEdition1 の感想はこちら
 ⇒⇒ルッフォについての過去記事はこちら

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ティッタ・ルッフォの全録音を粘着に聴いて感想をつけてみた/Edition Vol.1 [オペラ録音・映像鑑賞記]

ruffoedition1.JPG 今年の8月にティッタ・ルッフォの(おそらく)全録音(*1)を収録したと思われるCD全3巻を入手しまして、通勤の行き返りに粘着に聴きました。

 1巻毎にそれぞれCDが2枚あり、Edition Vol.1(52曲)、Vol.2(47曲)、Vol.3(43曲)、計142曲。ルッフォが録音に前向きだったとは聞いていましたが、こんなにあるとは思いませんでした。

 至福の極みです。

 特にVol.1 は、1905年のパテ兄弟社での録音が入っており、ルッフォの初期の歌唱がどんなだったかを知る上でも大変貴重。なにしろ28才という若い時代の歌唱。
 さぞ素敵だったんでしょうねぇ…・:*:・(*´エ`*)ウットリ・:*:・と、ワクワクしながら聴いてみたところ、

 びっくりするほど下手くそだった!

……という事実も判明www
(いるかどうかわからないけどファンの皆さんごめんなさい)

 とにかく大声でやかましくて、情感もへったくれもなく、おまけにオンチで、聞くに耐えずにすっ飛ばしたくなる曲もいくつか……orz

 後年の録音のあの素晴らしさは何なんでしょう。この時の録音から10年くらいの間に技術と芸術性が飛躍的に向上したに違いなく、芋虫ルッフォを蝶に変身させた要因はいったい何だったのかと、自伝を読み返してあれこれ妄想を膨らませるのもこれまた楽しく。

 Twitterでこれまた粘着に感想をつぶやきましたので、今年中にこちらに転記しておこうと思います。
 続けて聴いているうちにだんだん頭がおかしくなってきて、コメント(声)が裏返っている部分はご容赦をww

 ちなみに、ルッフォの録音の多くは「アコースティック録音(ラッパ録音)」と呼ばれる方法で録ったもの。マイクではなく、メガホンの大きいほうの開口部に向かってがなりたてた歌ったんですね。
 二重唱などでどちらか一方の歌手の声が遠く聴こえるのはポジション争いに負けたためと思われますww

 ⇒⇒ティッタ・ルッフォEdition 2 へ
 ⇒⇒ルッフォについての過去記事はこちらから

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《セビリアの理髪師》@新国立劇場 12/4 -- 言いたいことはいろいろあるけど面白かったから大満足 [オペラ実演レポ]

barbartirasi.jpg しつこいですが、今シーズンは新国の全公演制覇をめざして頑張っております。その第3弾は《セビリアの理髪師》でした。

 ロッシーニは恥ジュカチイのでちょっと苦手ですが、サー・トーマス・アレンの大はしゃぎフィガロ in マリナー版のおかげでこの演目は好きであります。

 で、新国のセビリア。
 いろいろ言いたいことはありますが、全体としてはとても良い公演だったと思います。
 ソリスト達のレベルは決して高いとは言えず、特にアンサンブルは終始グダグダで、残念の極みなんですけれども。お客さんのウケは良かったようだし、私も含め、みなさん満足されたんじゃないでしょうか。

 その要因はとにもかくにも演出にあったと思います。

 ヨーゼフ・E ケップリンガーという人の手によるものですが、これがま~ぁ面白かったこと!

 時代を1950年あたりに移して、美術もポップでカラフルに。CDだけで聴くと長ったらしくて退屈なアリアや重唱の部分も、歌手たちの後ろで何やかやとオモシロイことをやってくれるのです。もう笑いが止まらず、その効果があってお客さんのテンションも上がってきて、歌手にも拍手喝采を送る……という感じでした。

 演出があれほど面白くなかったら、どんな惨事が起こったことか(苦笑)

 でもまぁ、いいです。本当に面白く、楽しく、頑張ってお休みをとって新国に行って良かった!と思いましたから。オペラの顧客満足も、歌手やオケの演奏だけが決めているわけでもないんですね。もちろん両方良いのが理想なんですが。

 MVPはブルーノ・プラティコ。これぞブッフォのおシゴト!と大絶賛できる、見事なバルトロでした。ところどころに入れてくれる日本語も可愛かったですよ。

 それから、新国サイトの写真では「ニヤけたヤローだぜ」と私の評価の低かったダリボール・イェニスが、実は私好みの大声フィガロでいきなり好印象になりました。顔もけっこう大きかったしd( ̄  ̄)

 この強靭な喉、鬱陶しいほどの大声はもしや……?とワクワクしながら聴いていたんですが、ホラやっぱり。

 ヴェルディ歌いさんでもあらせられるのよね~~ワ━ヽ(*´Д`*)ノ━ィ

 正直、このセビリアにはあまり期待していなかったんですが、こうして思わぬところで魅力的なバリトンに出会えたりするので、全制覇を目指す意義もあるってもんです。
 イェニスは《オテロ》のイァーゴのロール・デビューをしたんですと。(⇒コチラ
 いいですねぇ~。是非とも生で聴いてみたいものです。

 ロジーナのロクサーナ・コンスタンティネスクも特に文句はありません。跳ねっ返りで色気もあって魅力的でした。

 で、いちばん大切なルシアノ・ボテリョのアルマヴィーヴァ伯爵。登場の第一声がとてもキレイな声だったので、その時点で期待度80%くらいにまで上がったのですが、少し調子が悪かったのでしょうか。不完全燃焼な印象です。
 高音があまりきれいではなく、アジリタもところどころ流れてしまっていた。
 本当ならもっと聴かせられる人なんだろうなと思いながら聴いていました。

 バジリオの妻屋秀和は今回も圧巻。『陰口は~』のアリアでのバスドラムどっか~んの瞬間の迫力など、妻屋さんだからこそ可能なんでしょう。

 オケの演奏も軽やかでテンポが良く、この演出とよくマッチしていたと思います。
 そして指揮者のカルロ・モンタナーロ氏のバルトロさんへの名ツッコミが、この演目で最も笑えた部分です。


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《トスカ》@新国立劇場 11/17 -- ノルマ・ファンティーニは可愛かった! [オペラ実演レポ]

tosca2012.jpg 今シーズンは新国全公演制覇をめざしているので、期待が大きいだけに“ガッカリ演目” と化している《トスカ》であっても行きました。
 そういえば、3年前は酷評しましたっけね。

 で、結論から言いますと、トスカのノルマ・ファンティーニはとても良かったのであります。
 特にたっぷりとした中・低音にうっとりしました。高音域はこの役ではほぼ悲鳴になりますけれども(笑)

 とにかく可愛い。容姿ももちろんそうですが、トスカの役作りがそんな感じで。

 私はトスカと聞くと、ドスがきいた怖いおばちゃん女性をイメージしてしまうのでありまして、カラスとかエヴァ・マルトンとかの印象が強いからかもしれません。そりゃスカルピアに虐められてかわいそうだとは思うけど、嫉妬深いしヒステリックだし、実際にいたら迷惑でうざい女性…みたいな。

 その点、ファンティーニのトスカは可憐で、嫉妬深いのは困るけど、「ごめんなさい」とカヴァラドッシに甘えるところなんかもすごく可愛くて。初めて心から応援できるトスカに会えた~!と思いました。

 『歌に生き、恋に生き』の直前で「えーんえーん!」と泣くシーンなど、もう舞台に駆け上がってスカルピアの襟首を掴んで「もうやめなさいよ! かわいそうじゃないの!」と殴りかかりたくなりましたよ(笑)

 その他の歌手はまぁ……そんなに期待していなかったので、こんなもんでショって感じです。

 カヴァラドッシのサイモン・オニールはちょっと惜しかったかも、とは思いますが、それにしても『星は光りぬ』は物足りなかったですね。聴いていて全然入り込めなかったし、そもそも指揮も盛り上げているようには思えなかったし。あそこは普通なら盛大な拍手が起こるべきポイントなのですが、素通りしてしまいましたね。あれは歌手のせいでしょうか? それとも、指揮?

 スカルピアのセンヒョン・コーについては、ここに記した印象どおりです。声は大きかったけど……。

 そんな中、アンジェロッティの谷 友博はなかなか良かったと思います。
 幕が開いて最初に舞台に転がり込み、声を聞かせる重要な役どころ。アンジェロッティの歌唱が良いと、トスカを観るぞ~!!という気持ちが一気に盛り上がりますものね。

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《トスカ》関連記事
《トスカ》@新国立劇場12/2 -- 不完全燃焼
バリトン愛好家の偏愛あるいは私は如何にして敬遠するのをやめてバスティアニーニを愛するようになったか
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能《隅田川》と教会オペラ《カーリュー・リヴァー》@東京藝術大学奏楽堂 10/28 [オペラ実演レポ]

sumidagawa.jpg ベンジャミン・ブリテンの《カーリュー・リヴァー》と、その元となった能《隅田川》の二本立て公演ということで、行ってきました。この二つを並べて鑑賞するのも、ブリテンを好きになってからの夢でありました。

 今年の夏にロンドンのクライスト・チャーチ・スピタルフィールズと、《カーリュー・リヴァー》の初演地であるサフォーク州オーフォードの聖バーソロミュー教会で公演を行ったのだそうです。
 教会で上演される能、どんな感じだったんでしょうね。

 私は東京藝術大学の奏楽堂、1階席で鑑賞しました。(今回は座席写真なし)
 またもや簡単な備忘録で申し訳ありませんが、感想を備忘録っておきます。

能《隅田川》
『隅田川』は学生時代にテキストを読ませられたような気もしますが、講義の内容など全くもって覚えておりません!(←学費のムダ)

 とはいえ、目の前で演じられるとそれなりに感慨を受けるものです。能は観念的な舞台芸術で、鑑賞する側の感受性に頼る部分が大きいんでしょうね。若い頃より今のほうが興味深く鑑賞できたのはそのせいかも。

 能の題材って、現代で言うところの「ホラー」ですね。本来は狂女の魂の救済のストーリーで泣かなきゃいけないんだと思いますが、なにしろ現代人の私ですので、クライマックスで子ども(梅若丸ですか)の声が「な~む~あ~み~だ~ぶ~つ~~~~~」と聞こえてきたところで、
 ギャー怖いっ!!
 と肝を冷やしておりました。

教会オペラ《カーリュー・リヴァー》
 いやはや、狂女役のテノール、鈴木准が素晴らしかった!

 狂女はやはりピアーズのあのナヨっとした歌唱がやっぱりいちばんしっくりくるなぁと思っていたんですが、正直、日本人でこんなに狂女がハマるテノールがいらっしゃろうとは思いませんでした。

 声量もあるし、透明感のある美声には惚れ惚れさせられたし、何よりもすごかったのは、あのイっちゃった感ですね。可哀想にと思うのと同時に、ゾッとさせられるんですね。
(後から聞いたところによりますと、鈴木准さんのご専門はブリテンなのだそうです)

 とはいえ、ゴミの山を積み上げたようなあの演出は何なのか。まったくもって意味がわかりません。ブリテンの音楽が台無しです。
 あんな不愉快なものを見せられるくらいなら、ステージに照明以外何もないほうがマシです。というか、そのほうが能っぽくて良いかも。

 演出のデイヴィッド・エドサーズ氏。来年はロイヤル・フェスティバル・ホールで《ワルキューレ》だそうですが、舞台はゴミ屋敷ってことにはならないでしょうね?


 ちなみに。
 われらがサー・トーマス・アレンも《カーリュー・リヴァー》のCDがございます。
 ネヴィル・マリナー盤。渡守の役です。


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《ピーター・グライムズ》@新国立劇場 10/5,10/8 -- 遅くなって申し訳ございません [オペラ実演レポ]

pt1008.jpg 長らく放置していて申し訳ありません。仕事のほかに、オフタイムで集中して頑張らなければならないことが出来てしまい、なかなかブログに気が回らなくなってしまいました。
 今後も更新が滞ることが増えると思いますが、今のところブログをやめるつもりはありませんので、気長におつきあいいただけると嬉しいです。

 さて新国も新シーズンが始まりまして(今更ですが)、今年はどんな手段を使っても(笑)全ての演目を制覇しようという野望を抱いております。

 その手始めの《ピーター・グライムズ》。私が大好きな演目で、生で鑑賞できたらと夢を抱いておりました。ようやく念願かなって新国で初上演と相成ったので、気合を入れて2回も行ってしまいました。
 簡単にその所感を備忘録っておきます。

 まず、いちばん重要なタイトルロールについて。腕に(喉に?)覚えのあるテノールはけっこうこの役をやりたがるようですが、なかなか私の好みに当てはまる歌手さんに巡り合えません。
 今回のスチュアート・スケルトンの声は、求めるものに限りなく近かったと思っています。響きが太く、低音がずっしりと重かった。

 ワーグナーが多くレパートリーに入っているようです。グライムズは初代がピーター・ピアーズで、この人のために書かれた作品なので、本来はあまり力押し歌唱でないほうが良いのかもしれませんが、少年虐待の疑いをかけられるグライムズなんですから、肉体派っぽい力強い声のほうが私は好きです。

 エレン・オーフォード役のスーザン・グリットンは素晴らしかった! 最も大きな拍手を送ったのはこの人です。たぶん私史上、最高のエレンだと思います。
 まろみのある、柔らかな素敵な声なのですが、歌唱に凄みがありました。

 2幕で、村人たちがこぞってピーターの小屋に向かった後、エレンとアンティ、二人の姪たちによる四重唱がありますが、そこでのグリットンのすさまじく悲痛な歌唱が2ヶ月以上経った今でも耳に残っています。

 あそこのシーンは、ちょっと昔のCDやDVDだとけっこうあっさりと演奏されることが多く、いまいちその存在意義がわからなかったのですが、グリットンの歌唱によってエレンの、そして女性の献身的な愛情と諦観が嵐のように胸に迫ってきました。

 アンティのキャサリン・ウィン=ロジャースは演技も歌唱も文句なし。太い声がキャラクターにとても合っていたと思います。

 急きょ代役としてバルストロード船長を歌うことになったジョナサン・サマーズはROHの映像やCDでお馴染みのバリトン。私の初グライムズのCDでも同役を歌っているので、思いがけず生サマーズを体験できて(しかも日本で!)嬉しかったです。

 日本人キャストで目を(耳を)ひかれたのは、ボブ・ボウルズ役の糸賀修平。あのイっちゃってヒステリックな面白キャラにとてもよくハマっていたというか。とにかく私の中のボウルズ役のイメージにぴったりで、何度も「そう、そうなんだよ!」と心の中で親指を立てていました。ええ声や!

 ホレス・アダムズの望月哲也も、なにげに胡散臭い牧師によく合っていました。礼拝のシーンであまり姿が見えなかったのが残念です。声だけ聞こえる…という演出がミソなんでしょうけどね。

 それから、オケの演奏もとても素晴らしく、興味深かったことも忘れずに記しておきましょう。特に1幕の嵐のシーンでどんな演奏をしてくれるか楽しみだったのです。あそこは指揮者によってびっくりするほど変わるのですね。

 音楽そのものは全くもって写実的に作られており、私の愛聴盤であるコリン・デイヴィスなんかはもう大型台風通過中のあのメチャクチャぶりを思い出させるようでとても迫力があります。
 一方、ハイティンクの手にかかりますと写実的な印象はまるでなくて、非常に観念的、宗教的な音になります。現実の嵐ではなく、グライムズの心情を描いているのかなぁと思わせられます。

 新国でのリチャード・アームストロングの音作りは写実のほうだったと思います。が、金管をフィーチャーしたデイヴィス盤の音に慣れた耳にはこれまた新鮮。引き裂くようなヴァイオリンの音がとても印象に残っています。

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《ピーター・グライムズ》関連記事
ジョン・ヴィッカーズの『ピーター・グライムズ』 with アレン ←アレンはネッド・キーン役です
R・ジョンソンの『ピーター・グライムズ』 ←アレンはバルストロード船長役です!
『ピーター・グライムズ』/ブリテン自作自演盤
『ピーター・グライムズ』あれこれ
《ピーター・グライムズ》MET ライブビューイング 5/27

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夢とロマンの「主よ!あなたは私の頭上に」/19人のオテロ [オペラ録音・映像鑑賞記]

zanelli.jpg19世紀生まれのアンティーク歌手たちによる《オテロ》、名場面集

 かなりご無沙汰してしまいました。9月にまだ1回も更新していない事実に気づき、急きょ(笑)

 「主よ! あなたは私の頭上に」は、《オテロ》3幕前半のモノローグ。私が最も好きな部分です。

 自分がかつて贈ったハンカチを「カッシオが持っていた」とイァーゴが言い、実際デズデーモナはハンカチを失くしてしまっていた。まだ不義は確定的ではないのですが、オテロは百パーセント信じたも同然。ついに愛する妻デズデーモナを「娼婦め!」と罵倒して追い払い、ひとり取り残された広間で絶望的な心情を切々と神に訴える。

 「オテロ、アホだなぁ~」と言うのはたやすいことですが、このモノローグは私にとってとても身につまされる部分です。私は女性ですが、デズデーモナよりもオテロの心情に共感してしまいます。

 人生において“最も恐れている事態”が本当に起こってしまったら……。それに脅えるあまり、自ら妄想の中で悲劇を起こして、やがて現実に成就させてしまう。

 人間にとって「真実」とは客観的な事象ではなく、「心の中で起こっていること」。実際の世界と齟齬が無いように見えるのなら、それは心の中と現実世界とのギャップを自分自身の行動によって埋めた結果なのだと思うのです。

 どんな人にも、そうやって自ら悲劇を生み出してしまった、その激しい痛みと後悔の経験はあるのではないでしょうか。少なくとも私にはあるし、その苦い思い出がオテロの悲痛なモノローグによって断片的に蘇ってきます。
 素晴らしいオテロ歌い達も、おそらくそういう経験を元に、このモノローグに思いを込めているのだと思います。

 今回は愛しのタマちゃん(フランチェスコ・タマーニョ)の録音は無いのですが、代わりにレナート・ザネッリ(画像右上)による迫心の朗唱があります。

 前の「清らかな…」での豊かな感情表現を聴いたときから「お? お?」と、磁石に吸い寄せられるかのように興味が向いていたのですが、この回から「もしかして、凄い人なのかも……」と正座をして聴くようになったのです。

 そのうちザネッリについても経歴等をまとめようと思いますが、まずは彼の素敵なオテロを聴きましょうね。

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