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ローザ・ポンセル -- スカートを履いたカルーソー [オペラの話題]

rpport01.jpg 中古屋さんでローザ・ポンセルのCDを見つけました。

 ヴェルディ抜粋盤。収録曲は《アイーダ》《トロヴァトーレ》《運命の力》で、共演者にジョヴァンニ・マルティネッリ、リッカルド・ストラッチャーリ、エツィオ・ピンツァの名前があります。
⇒⇒⇒こちらのCDです

 ポンセルといえば、かのトゥリオ・セラフィンの言うところの「3人の奇跡」の1人なのだそうです(他の2人は、カルーソーとルッフォ)。

 しばらく同時代の別のソプラノに入れ込んでいたのでポンセルについては後回しだったのですが、ディスクを見つけたのも何かの縁。それに、ピンツァの歌唱も聴いてみたかったのでホクホク購入しました。

 1曲目。
 マルティネッリのラダメス。「清きアイーダ」
 うん、オテロの時も思ったが、ちょっと弱いぞ。ニョロニョロしてるぞ。

 そして2曲目。
 ポンセルの「勝ちて帰れ」。
 その第一声を聴くなり、凡人の私も思わず呟いてしまったのです。

 奇跡じゃぁぁ~!!(←〝タタリじゃぁぁ~!!〟風に……)

 ※上の画像をクリックすると、YouTube、ポンセルの歌う『勝ちて帰れ』へ飛びます。


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 何て輝かしい声なんでしょう!

「勝ちて帰れ」は1928年の録音。

 アコースティックから電気録音への移行期であり、これもおそらく電気録音と思われますが、それでもやはり音質は貧相なものです。伴奏のショボさなんて聴いていて気の毒になるくらい。

 ところがところが、ポンセルの声だけが力強く瑞々しい波動でもって耳に迫ってくるのです。
(……って、ワタシいつも同じことを言っていますがww)

 これが現代の録音技術でしたら、どれほどのものだったでしょうか!
 ルッフォの声を初めて聴いた時も同じように思ったものです。この世のものとは思えない声って……この世のものではないだけに、時代やテクノロジーの未熟さなどものともせずに存在し続けるんでしょうねえ。

 ポンセルの声は「喉から黄金があふれ出てくるような」と形容されたそうです。
 その響きの美しさもさることながら、天井知らずの高音域と、ナイチンゲールの囀りを思わせる優美なアジリタやトリルなど、その類い稀な技巧にも酔いしれてしまいました。

 そんなポンセル。
 21才でオペラ歌手としてデビューするまで、きちんとした声楽の訓練を受けていないのだそうです。
 Wikipediaによりますと、主に母親に手ほどきを受けて、ヴォードヴィル劇場などで歌っていたとの事。〝芸術〟というより〝芸〟ですよね。

 こちらのバイオグラフィには、「エンリコ・カルーソーによって見出された」とあります。オーディションを受けた時、審査員の中にカルーソーの姿もあったのでしょうか。

laforza1919.jpg かくして、1818年。メトロポリタン歌劇場にてめでたくデビューを飾ったのでした。

 演目はヴェルディの《運命の力》。ポンセルはヒロインのレオノーラ役です。

 相手役アルヴァーロはエンリコ・カルーソー。ドン・カルロ・ディ・ヴァルガスはジュゼッペ・デ・ルーカ。新人にあるまじき豪華共演陣ですね。
(左の画像は1919年の舞台写真ですが、配役は18年とほぼ同じです。クリックすると、ポンセルの歌う"Pace pace mio Dio" YouTubeに飛びます)

(※これでバリトンがルッフォだったら、奇跡の3人が勢揃い……!というトンデモナイ事態になったのでしょうが、1918年はルッフォが1次大戦で従軍中だったし、そもそもカルーソーの嫌がらせでメトの舞台には立てなかったのさ……という大人の事情があります)

 ポンセルの偉大さを伝えるエピソードや評伝をいくつか挙げます。

 まず、音楽批評家のJ・G・ハネカーに「スカートを履いたカルーソー」とあだ名されています。
 レナード・バーンスタインは音楽家の道を志すのに多大な影響を受けたとしてポンセルに感謝の手紙を書いていますし、エリザベート・シュワルツコップもその自伝の中でポンセルについて語っているそうです。

 また、今回Wikipediaを読んで初めて知ったのですが、ベッリーニのオペラ《ノルマ》を蘇演させたのはポンセルなのですね。
 マリア・カラスだとばかり思っていたのですが。
 ポンセルが蘇演させた演目をカラスが歌い、名作として再び上演されるようになったと理解するのが正しいようです。

 ポンセルによる《ノルマ》蘇演は1927年11月16日。その時の指揮がトゥリオ・セラフィンだったので、彼が後に「奇跡を体験した」と語ったのはこの上演のことなのかもしれません。

 YouTubeにアップされているポンセルの《ノルマ》はこちらからどうぞ。

 1936年、40才の若さでオペラ界を引退。その後の数年はコンサート活動を行ったそうですが、1940年頃に完全引退となりました。

 ボルチモアのグリーンスプリング・バレーに大豪邸を構え、そこのスタジオで後進の指導を行っていたようです。

 彼女の指導を受けたとされる歌手は、主な名前だけでも、プラシド・ドミンゴ、ライナ・カバイヴァンスカ、シェリル・ミルンズ、サミュエル・レイミー、レオンタイン・プライス、ルイ・キリコ、ビヴァリー・シルズなど。
 何というか、ポスト黄金時代にアメリカで活躍した歌手、ほぼ全員を網羅している……?

 指導と言ってもどこまでの指導かはわかりませんが(ルッフォとグェルフィの関係のように)、欧州でのオペラ経験などいっさい持たない、「完全米国産」歌手として初めてメトで成功したポンセルの影響力は計り知れぬものがあったのでしょう。

 ローザ・ポンセルは1981年5月25日に、骨髄癌のため、84才で亡くなりました。


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 ポンセルとルッフォは1922~1928年まで、毎年1演目以上共演しています(もちろんMETにて。カルーソーの死後……というのが複雑な気持ちになりますが)。

 演目は《アンドレア・シェニエ》《ジョコンダ》《エルナーニ》の3演目。
 共演テノールには前述のジョヴァンニ・マルティネッリや、ベニャミーノ・ジーリの名前も見られます。

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名古屋のおやじ

お久しぶりです。

すでにご存じでは、と思うのですが。
NYのタイムズスクウェアにノルマに扮したポンセルの像が設置されたそうですね。

ジェイムズ・モリスも彼女に師事したひとりで、あるポンセルの伝記には彼が言葉を寄せています。
by 名古屋のおやじ (2014-01-15 11:48) 

しま

■名古屋のおやじさん
ご無沙汰しておりますm(_ _)m

>すでにご存じでは、と思うのですが。
>NYのタイムズスクウェアにノルマに扮したポンセルの像

ご存じなかったので検索してみました。
http://www.theatermania.com/new-york-city-theater/news/11-2012/see-this-amazing-broadway-relic-before-it-becomes-_63668.html
これでございますね?

いつも貴重な情報、ありがとうございます!
by しま (2014-01-17 14:44) 

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