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《蝶々夫人》@新国立劇場 1/24 [オペラ実演レポ]

sinkoku chouchou1.jpg プッチーニのオペラ《蝶々夫人》の初演は1904年。日本の暦では明治37年で、ちょうど日露戦争が勃発した年にあたります。

 既にこの時代から、日本においても歌劇団体は存在してたそうですし、学生によるオペラ公演も行われていたようですが、オペラ先進国に肩を並べるレベルの《蝶々夫人》が日本の国立歌劇場のレパートリーとなり、頻繁に上演される時代が来ることを、はたして作曲者のプッチーニはどこまで予想していたでしょうか。

 2009年初のオペラ実演鑑賞は、新国立劇場の《蝶々夫人》。1/24最終日の公演です。

 このオペラ、題材が題材だけに、長いこと食わず嫌いを貫いてきましたもので、全曲をきちんと把握できるようになったのは実はつい昨年のこと。しかも全く真面目に聴いてはいませんで、ネタ大関のゲッダニコライによるニヤけ歌唱に大笑いをするという、なんとも“私らしい”鑑賞スタイル。

 そのせいか、ヴェルディ大先生の諸作品と同じく、すっかり《蝶々夫人》はオモシロ演目である(`・ω・´) !!という誤った認識を抱いたまま、新国での初鑑賞に臨むこととなったのでした。ハイ、実演はもとより、“絵付き”でこのオペラを鑑賞するのも初めてのことだったのです。

sinkoku090124.jpg ←本日の座席はコチラ。A席・2階・5列目の26番。

 ほぼど真ん中の良席です。2階席の最後列ですから、ちょっとくらい座高が高くても、身を乗り出しても誰にも迷惑はかかりません。

 私よりも早くこの公演を2回も観ていた妹から「この演出は、なるべく真ん中の席で観たほうが良い」とアドバイスされていました。mixi経由で手に入れたチケットでしたので、自分で座席を選んだわけではないのですが、たまたまピッタリの場所で本当によかった。

 同時期にmixiで4階席のチケットが売りに出され、安さに目がくらんで一瞬そちらに引きずられそうになったのですが、上の階の席では演出の要である星条旗が見えなかったのだそうです。


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sinkoku chouchou2.jpg さて。

 大ウケするつもりで出かけたのでしたが、実は1幕の蝶々さん登場のあたりから何度も涙がじわぁっと滲んでしまって、少々困ったくらいです。

 正直、蝶々さんにこんなに感動するなんて、予想だにしていませんでした。

 それは楽曲の美しさもさることながら、カルロ・モンタナーロのダイナミックな指揮と、ノスタルジックな栗山民也の演出に拠るところが大きかったのだと思います。

 舞台美術は大変簡素で、写真で見ると「なんだコリャ」という印象でいたが、床と柱だけの蝶々さんの家を囲むような上手の坂道と下手の階段が空間をより広く深く見せており、表面上のストーリーを超越した“何か”を静かに訴えかけているかのようです。

 その“何か”とは、日本人の「こころ」とでも表現し得るものかもしれません。

 このオペラの元となったデイヴィッド・ベラスコの戯曲に惚れこんだプッチーニは、日本の音楽をはじめ宗教や風習を熱心に調べたそうですが、それでもやはり、“本物の”日本女性を描写してはいません。プッチーニの他の作品のヒロインに比べれば可憐でたおやかではありますが、しかし“本物の”日本女性はこんなふうに大仰に喜怒哀楽を表現したりはしないのです。

 日本の男性の場合でも同様ですが、それ以上に、日本女性の「こころ」は外界に対して閉じられています。喜びも悲しみも、本人でさえ感じ取れないほどの心の深淵の闇のなかにそっと息づいているのです。

sinkoku chouchou4.jpg だからこそ、その「こころ」は果てしなく深い。

 1幕も2幕も3幕も、場面はすべて「蝶々さんの家」ですから、普通に家屋と庭のセットを建ててしまうこともできるのですが、シーンの細部まで描写が行き届く反面、目に見えない「こころ」を表現することはほぼ不可能になるでしょう。

 大きくカーブした坂道と階段――その螺旋の途中に、屋根も壁もない蝶々さんの家を配し、はるか頭上に星条旗をぽつんと立てる。この宇宙的な構図こそが西洋と日本、いや、東アジアにおいてすら諸外国との違いの際立つ日本人のメンタリティであり、宗教観であり、「こころ」の表現であると思うのです。

 プッチーニの蝶々さんは、「イタリア人女性」です。

 それはそれでいいのです。私たち日本人も、キモノを着たイタリア人の蝶々さんのお話が好きで、音楽を聴き、舞台を楽しむ。
 だから、ヒロイン役のソプラノが大柄な西洋人女性で、大股でドタドタ歩いても気にならないし、衣装がヘンテコリンであっても全く構わないのです。

 ですが、日本人が自国で《蝶々夫人》を上演するのであれば、西洋のオリエンタリズムとは一線を画す作品を、誇りをもって生み出すべきで、新国の《蝶々夫人》は私が事前に抱いていたこの「疑問」にひとつの回答を示唆してくれたように思います。

 脇役たちの所作が微に入り細を穿つまで日本人らしかったのも、とてもよかった。この演出にノスタルジックな印象を与えているのは、まさにこの部分でしょう。

 所作と言っても、もちろん歌舞伎俳優並に、とは言いません。それこそ歌舞伎に比べれば、日本人によるあの動作も“本物”ではありませんけど、西洋化された現代日本人にとって、あの「らしさ」を出すのはけっこう難しいのではないでしょうか。だいいち、イタリア・オペラの演出にあそこまでの「日本らしさ」を見ることができるなんて、本当に稀有な体験ですから。

sinkoku chouchou3.jpg 蝶々さんを歌ったカリーネ・ババジャニアンは、声はかすれ気味であまり美しくなかったのですが、低音はいかにも蝶々さんらしくドラマチックな響きがありましたし、好演だったと思います。

 さきほど「プッチーニの蝶々さんはイタリア人だ」と言いましたが、ババジャニアンの場合はそういう感じではありませんでした。2階席からなら、ちょっと大柄ってだけで容姿も違和感なかったですし、歌唱もキイキイわめくのではなく、奥ゆかしさが感じられました。普段はマリア・カラスの激しい蝶々さんを聴いているので、よけいそんな印象を抱いたのかもしれません。

 星条旗の前に、まるで忠犬八公のようにぽつんと立ってピンカートンを待っている後姿がけなげでいじらしく、本当に哀れを誘いました。

 日本的な仕草も無難にこなしていたと思います。3幕のアリア「さようなら、坊や」など、歌舞伎風に子別れの場だなんて呼びたくなったのもです。

 日本女性の敵、ピンカートンはマッシミリアーノ・ピサピア。彼はとってもオモシロかったです。

 登場した瞬間から「どひゃー!! “いかにも”だー!!」なんてテンション上がりまくりのだるま体型もさることながら。とにかく歌唱がウケるのです!!!!

 低音は地声。中音はスピント系のデカ声。そして、ホセ・クーラを彷彿とさせるムリムリ力押しのパッサージョ!!! そして常にシャープ歌唱!!!
 やっぱりこの作品は、当初の想像どおりのオモシロ演目だったんだわ~♪(←違)

 ヴェルディ大先生と同じく、プッチーニもテンションが命ですから。こういう歌手にどんどん活躍してもらいたいものです。

 アレス・イェニスのシャープレスは、美声で無難にこなしているという印象でした。
 まぁ、シャープレスですから、なかなか個性を出しにくいですよね。

 そして私のイチオシは、大林智子のスズキです。光沢のある、まさに私の理想的なメゾ声で惚れました。

 新国に登場する脇役メゾさんは、たいてい私の好みなのです。今年もそんな出会いに恵まれますよう、大いに期待しています。

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【作 曲】ジャコモ・プッチーニ
【台 本】ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

【指 揮】カルロ・モンタナーロ
【演 出】栗山 民也
【美 術】島 次郎
【衣 裳】前田 文子
【照 明】勝柴 次朗

【芸術監督】若杉 弘

【蝶々夫人】カリーネ・ババジャニアン
【ピンカートン】マッシミリアーノ・ピサピア
【シャープレス】アレス・イェニス
【スズキ】大林 智子
【ゴロー】松浦 健
【ボンゾ】島村 武男
【神官】龍 進一郎
【ヤマドリ】工藤 博
【ケート】山下牧子

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団



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コメント 8

keyaki

今年もよろしくお願いします。

大村博美さんの時に見ましたが、その次(ジャコミーニのピンカートンが話題になった)も、今回も私はパスしちゃいましたが、歌手さんたちなかなか良かったようですね。

>マッシミリアーノ・ピサピア
グリゴーロ君がキャンセルすると出てくるので、聞いてみたい気もしましたが.....イタリアニッシモな歌唱なんですね。

かなり前の記事で、ほとんどなにも書いてませんが、TBしますので承認お願いします。

by keyaki (2009-01-25 11:02) 

ラテ

こんにちは。

>舞台美術は大変簡素で、写真で見ると「なんだコリャ」という印象でいたが

どうしてどうして、お写真からも十分奥行が伝わってきてイイ感じに見えますよ。シックで素敵です。。。

by ラテ (2009-01-25 12:12) 

ドクターT

う~ん、プッチーニを面白演目というご意見は初めてですわ(^o^)

ぜひ、テンション命のオペラについての一考察を書いてください!

お待ちしてま~す(^^)/
by ドクターT (2009-01-25 21:57) 

しま

keyakiさん>
年が明けたというのにご無沙汰してしまってすみません。こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
年末からの腰痛、年明け早々の職場の騒動、来月は自宅の引越しと、バタバタと落ち着かないオフを過ごしています。しばらくはブログの更新も、こんなゆっくりペースで続けます。

keyakiさんも初めてのナマ蝶々さんがこの演出だったんですね。私もマジで泣けました。本当に良い舞台でした。

>ピサピア
>グリゴーロ君がキャンセルすると出てくる

あ、彼がそうだったんですか。
いや~しかし、グリゴーロ君とは容姿も歌唱も180度違うタイプです~。
存在が既にギャグですよ。
よくもまぁ私も、このピンカートンで、ちゃんと泣けたと思います(笑)
歌唱は良かったと思いますケド。
by しま (2009-01-25 23:05) 

しま

ラテさん>
こんばんは。
蝶々さんが星条旗の前に佇んでいる後姿とか、いいですよね。ライティングがまた凝っていまして、人物の影を効果的に使っているんです。

でも、ラストで蝶々さんが死ぬ瞬間は、舞台の隅々まで容赦ない光で照らされて、それがまた悲惨さを強調するの。もう、ホント、救いが無くて、その解釈がまたよかったです。
by しま (2009-01-25 23:11) 

しま

ドクターTさん>

>プッチーニを面白演目というご意見は初めて

プッチーニをオモシロ演目と言っているんじゃないんですよ。「ピンカートンを歌うゲッダニコライのテンションが凄くて笑える」という意味なんです。

泣ける物語・音楽なのに、「も~ぉ、どーして君はこんなふうにオモシロく歌っちゃうんだよ~!!! 雰囲気ブチ壊しじゃないのよ~ぉ!!!」とツッコミを入れるのが、私の基本的なオペラの楽しみ方なのです。

というわけで、ワタシのブログはあまり真面目に読んではイカンのですよ。
by しま (2009-01-25 23:19) 

yokochan

しまさん、こんばんは。
あら、同じ日でかぶりましたねぇ。
もしやと思い、お着物女性を探しましたが、よく見る着物男性だけを発見。(あの人誰だろう?)

蝶々さんへのジレンマ、私も同じでしたが、ついに脱することができた思いです。
おまけに、涙ボロボロでございましたよ。
それでも、ピサピア君には微笑みを禁じえませんでしたねぇ~~。
音楽を大事にした、いい演出だったかと思いました。
TBさせていただきますね。
by yokochan (2009-01-29 23:35) 

しま

yokochanさん>
ごぶさたしてます。またまた同じ日でしたか。
残念ながら着物ではなく、久々にワンピース姿だったんですよ~。たまには洋装もいいモンです。席は2階でした。

>ピサピア君には微笑みを禁じえませんでしたねぇ~~
ホントに…(笑)
ロマンチックさのかけらもない感じで、最後に泣きながら階段を駆け上がっていく姿なんてマンガそのものでした。
でもそのオモシロ演技&歌唱のお陰で、私の中での株は上がったかも(笑)

ある意味、あまりにもカッコ良すぎるピンカートンだと、日本女性としてはムカつくかもしれません。後悔したって言ったって、結局オイシイところは全部持っていくわけだし、時が経てば自分の“罪”なんて忘れちゃうでしょ、どうせ。思い出はどんどん美化されていくだろうし。

TBありがとうございました。
今年もお付き合いよろしくお願いします。
by しま (2009-02-01 10:15) 

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