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トーマス・アレンの『利口な女狐の物語』 [アレンの録音・映像鑑賞記]

 人は生まれ落ちた瞬間から、死に向かって一直線に歩み始めます。

 我々は、いつか必ずこの世から消滅する存在であるということ。この認識があってこそ、あらゆる美の概念が現れました。
 芸術とは、つまるところ“存在”への果てしなき賛美です。裏を返せば“死”への抵抗であり挑戦であり、あるいは憧憬の表現であるわけです。

 さて、日頃はネタとしてイジリ倒しておりますけれども、サー・トーマスのマジ声には“死の気配”を感じてしまうワタシです(あくまでも“マジ声”に、だけど)。
 アレンの歌う高音域、はかなく哀愁を帯びた響きが、たまたまワタシの“死”のイメージに合致しているんだろうと思います。

 ワタシにとっての“死”とは、美醜、善悪、すべてのmortalな存在が溶け合い、もはや相対という概念すら消滅して、ただひとつ“絶対なるもの”の圧倒的な存在の前に完全に“無”となること(←またもや意味不明)。

the cunning little vixen

 そんな静かな絶頂感にも似た感覚を味わせてくれたのが、ヤナーチェクのオペラ『利口な女狐の物語』でした。
 アレンは初老の森番を演じています。

 この作品の解釈はいろいろあるようですが、ワタシは、最後のシーンで森番は死を迎えたのであろうと思います。なぜなら、自然界で人ならぬ存在と魂を通わせる、そのような恍惚を味わった人間が、俗世での日常生活に戻ることはできないだろうし、そのような人が生き長らえるのは逆に不幸であろうと考えるからです。

 ワタシにとっての“死の原風景”のようなこの作品を、アレンの声と演技で体験できたことは幸せでした。肉体にとどまったままの状態であの世を垣間見るのはしんどいので、他の演目のように繰り返し鑑賞するわけにはいきませんが。

 ナントCDもあるようですね。アレンが森番を歌っているなら、迷わず買います。声域が違うからまさかとは思うが、校長先生とか森番の飼い犬とかの役だったら、他の演目と同じようにネタになり下がってしまいそうなので、ちょっと悩んでから買おうかな……(←買うんかい)

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