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ヴェネツィア絵画展/Bunkamura [その他の話題]

 久々の渋谷。残暑と人混みでヘロヘロになりながら、Bunkamuraで開催されている展覧会『ヴェネツィア絵画のきらめき』へ行って参りました。

 本日のお目当ては、ティツィアーノの《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》。それと、ヴェロネーゼの《エッケ・ホモ》です。

 展覧会じたいは残念ながら「きらめき」という印象は薄く、ちょっと物足りない感じでしたが、好きな絵をじかに眺められたので良しとしましょう。

 宗教画、肖像画、風俗画(ほんの少し)、それから風景画がありました。
 ワタシの趣味は宗教画。絵のことなんて全然わからないのですが(感受性すら発達していないようです)、ルネサンス期からの宗教画には不思議と心惹かれます。

 画家の個性によって受ける印象は違うものの、唯一共通していると思われるのが、静寂感。テーマによっては大変ドラマチックな瞬間が活き活きと描かれているにもかかわらず、人物の息遣いすら聞こえてこない、あの硬直した感じ、美しくも嘘臭い雰囲気が好きなんだと思います。

 人物にも“個性”がありません。生きたモデルはいたのでしょうけれども、肖像画のように生々しい人生が滲み出ることはありません。だから、見ていて心がかき乱されない。

 芸術鑑賞に「心がかき乱されない」ことを望む姿勢もどうかと思いますが、たぶん、「瞑想」に似ているんじゃないかな、と。

 感情が揺れない状態で、じいいっと絵と相対しているうちに、自分自身の奥底の“核”みたいなものの存在をふっと感じることがあるんです。まぁ大抵はその手前で足が疲れちゃったり飽きちゃったりして、次の展示へと進むのですが、ごくたまに、自分の内側の自分が内面からトントンと心をノックするような感覚に気付くことがあります。

 あるいは、これが「かすかな細い声」なのかもしれません。

 サロメの視線。ヨハネの首に注がれているように見えて、実はもっと前の足元の方向に向けられているように感じます。もしくは、何も見えていないのかもしれません。おそらく彼女の意識は、自分の関与した血塗られた事件から遠く離れてしまっているのだと思うのです。この現実感の無さがいい。

 血にまみれたキリストの表情も穏やか。
 エッケ・ホモはキリストの生涯を描いたテーマの中で最も好きなものの一つです(いちばん好きなのは、ノリ・メ・タンゲレ)。たぶん、キリストが裸だからでしょう。

 子どもの頃から教会で「神の子キリストの聖なる生涯」についての英才教育(?)を受けさせられましたが、キリストの磔刑のあたりなんてワタシにとってはSMポ○ノそのもの。神妙な表情を作りながら、密かにイケナイ想像をしていたものですよ・・・

 それはさておき。
 音楽(というか、オペラ)には、笑いと感動を大いに期待しているワタシです。が、絵画に対しては全く逆なのね……ということを自覚して、それもとっても興味深かったです。

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