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R・ジョンソンの『ピーター・グライムズ』 [アレンの録音・映像鑑賞記]

 日曜日の午後いっぱいジタバタして、某動画配信サイトの動画をiPodに取り込むことに成功しました。ネットやってると悪いコトばかり覚えるから困ります。

 落としたのはアレンのマーラーと、オネーギン(かなりキモい)@英語歌唱の動画です。

 音質はさほどでもありませんが画質はけっこう劣化しまして、アレンのお顔も荒いモザイクがかかった感じに。まるでいかがわしいビデオでも見ているようで気分が盛り上がりますよ。デヘヘ。(つうかワタクシ、これでも謹厳なメソジスト信者なんですが、こんなコトでいいんかいな)

 メソジストと言えばイギリス発祥のプロテスタント宗派でして、別にかの国が好きなわけでも何でもないんですが、ひいきの歌手もやたら英国系が多かったり、友人も住んでいたりで、なにげに縁があるなと思う今日この頃。

 などと無理無理なマクラをふって、最近ハマっているイギリスオペラ、『ピーター・グライムズ』@ハイティンク盤にこじつけるわけです。
 アレンがボルストロード船長をやってるので聴きましたが、やっぱり語るべきはタイトルロール(T)のようです。チクショウ、ウチはバリトン贔屓なブログの筈ですが?
pg2
 こちらはアンソニー・ロルフ=ジョンソンが歌っています。
 ひたすら悲しみが伝わる歌唱。怒りと自暴自棄な心情に満ちたウ゛ィッカーズとは対照的で、高潔さの感じられるグライムズ像です。

 両者を聴き比べて思うのは、「では、グライムズを死に追いやるのは何なのか」ということ。村人たちなのか。ピーター・グライムズ自身なのか。

 このハイティンク盤の場合、「すべては運命だったのだ」という気がします。究極的には誰にも咎は無い。グライムズを追いつめる村人たちのクライマックスの合唱もヒステリックには聴こえません。

 物語の冒頭から、ロルフ=ジョンソンのグライムズの視線ははるか遠くに向けられているように感じます。まるでラストの死を予見しているかのごとく。
 おそらく、最初の徒弟を亡くした時点で、グライムズの魂も死んでしまったのではあるまいか。そう想像させられる歌唱です。

 ロルフ=ジョンソンのグライムズは、生きることを半ば放棄した男。新しい徒弟をあてがっても再出発などできるはずもなく、ひたすら運命の瞬間へと進んでいきます。その声に怒りや恨みはない。ピーター・グライムズは“死”に安らぎを見いだす種類の人間であり、ウ゛ィッカーズの歌唱にもそれは表れていますが、ロルフ=ジョンソンのほうがより優しく死神のかいなに抱かれていて、自らもそれを知っている。そんな気がします。

 ハイティンクの指揮による演奏も、透明感があって美しい。何かをぶちまけたかのようなコリン・デイヴィス盤の後に聴いたせいもありますが、とても秩序立った印象を受けます。もうちょっと聴き込めば、別の側面も見えてくると思うんですけど。
 「嵐」の間奏曲も激しさよりも荘厳な響きがあり、祈りのようなジョンソンの歌唱に合っていると思います。

(もう少し続きます。たぶん)

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Peter Grimes/Benjamin Britten

Bernard Haitink, Chorus & Orchestra of the Royal Opera House, Covent Garden

Peter Grimes: Anthony Rolfe Johnson
Ellen Orford: Felicity Lott
Captain Balstrode: Thomas Allen
Auntie: Ptricia: Rayne
Niece1: Maria Bovino
Niece2: Gillian Webster
Bob Boles: Stuart Kale
Swallow: Stafford Dean
Mrs.Sedley: Sarah Waoker
Rev.Horace Adams: Neil Jenkins
Ned Keene: Simon Keenlyside
Hobson: David Wilson-Johnson

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03/15追記:
そういや、薬屋ネッド役はサイモン・キーンリーサイド。この人を聴くのは初めてです。

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